東京・佃島 摂津国・佃村ゆかりの徳川家がきっかけで移住し、開拓されたという

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1名無しさん@涙目です。(愛媛県)

 今回は東京都中央区の佃島、築地界わいを訪ねてみたい。浮世絵の、あの写楽にまつわるお話をひとくさり。
そういえばコメディアン・俳優で有名だったフランキー堺ゆかりの映画「写楽」を思い出す。
江戸の昔の謎の人物は住吉神社にご縁があったようで…。


 隅田川には18の橋が架かっている。
 最上流の白鬚橋から海風薫る勝鬨橋まで、どれを眺めても飽きがこない。もっとも佃大橋だけは何とも無粋で、
板1枚渡しただけです、といった風情で味気ない。全長220メートル、幅25メートル、片側3車線の、
ただただノッペリしたこの橋は、1964年(昭39)に架橋された。それでも取りえはあるもので、
つり橋でもないから橋上にロープやケーブルが見えない。邪魔がないから周辺のスケッチには格好だそうで、
日曜画家たちがひねもす佃島の、高層ビル群を描いて過ごしている。
 東京五輪前まではここは渡し船が通っていた。1645年(正保2)に開始された渡船による「佃の渡し」は、
いつの時代も住民にとって欠くことのできない交通機関で、最盛期には1日1万人前後の人に利用されて
いたというから驚く。両岸の、この橋のたもとに渡船跡を示す石碑が立っていて、佃島側はつくだ煮屋が数軒。
近くの水路をたどると住吉神社で、この地域の産土(うぶすな)神になっている。
 1590年(天正18)、徳川家康の江戸入城に伴い、徳川家とゆかりのある摂津国佃村(現大阪市西淀川区佃)
の漁師らが江戸へ移り、土地を埋め立てて築島、故郷にちなんで佃島と命名した。
 江戸湊の入り口に位置し、新鮮な白魚を徳川家への献上魚とし、残った雑魚を江戸市中で商いしたのが
つくだ煮の起こりであることはご存じの通りで、住吉神社は海運業、各問屋組合など多くの人々から
海上安全、渡航安全の守護神として信仰を集めた。

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