「祈りで人は救えるのか…」宗教者も悩み、苦しむ毎日続く
東日本大震災での犠牲者の追悼や被災者の支援に、多くの僧侶らも奔走している。「宗教者の果たすべき役割とは何か」「祈りで人は救えるのか」。
死者行方不明者2万6千人超という現実に、宗教者も悩み、苦しむ毎日が続く。28日は「四十九日」。寺には葬儀の読経を求める人たちがいまも訪れている。(中村昌史)
「震災後、数え切れないほどの死者を弔いました」。細川雅美住職(53)の言葉には疲労がにじんでいた。「これでも片づいた方です。皆さんの力を借りながら、前に進んでいます」
宮城県石巻市の称法寺。津波で境内のすべてが破壊された。葬儀離れ現象があるとはいえ、多くの人にとって葬儀は故人との別れの大切な儀式だ。
称法寺には、供養を求めて遺骨を抱えて訪ねる人たちの姿が今も見られる。「門徒(檀家=だんか)は、付き合いのあるこの寺での供養でないと納得しません。そんな思いに丁寧に応じたい。今は、体が5つあっても足りないくらい」
3月11日、細川住職は仙台市にいた。2日後、やっとたどり着いた寺の姿は変わり果てていた。津波は本堂1階の天井まで達した。重い釣り鐘すら、台座だけを残して流されていた。
寺で留守番していた僧侶は遺体となって見つかった。340年もの歴史を刻んできた寺は苦難に直面している。「早く、地域や門徒の生活をまともな状態にしたい。『本堂も建て直すでしょ』と聞かれた。もちろん、そのつもりです」
寺には、仙台を拠点にした僧侶のボランティアが駆け付けてくれた。がれきを取り除いたり、生活物資を運んだりしてくれた。ボランティアの僧侶らは、寺の支援だけでなく、地域の支援にも繰り出している。
「ボランティアも私も、やるべきことが山積です」
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110423/dst11042320320043-n1.htm