スティービー・ワンダー「最も礼儀正しく、美しい国の方々へ。私は、あなた方と共にいます」
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名無しさん@涙目です。(catv?):
■ スティービー・ワンダー
宮城県仙台市に、全盲のハンデを背負いながらも盲学校に行かず普通の中学に通う生徒がいると知り感激。突然お忍びでその中学に現れ、体育館のピアノで中学生相手にゲリラライヴ。
■ レッドツェッペリン
1971年の来日の時、メンバー4人が原爆資料館に衝撃を受ける。その日の広島公演のギャラを全額寄付。
■ グウェン・ステファニー (ノー・ダウト)
ノー・ダウトの日本初公演の合間に訪れた原宿に虜になる。『Harajuku Girls』という曲を大ヒットさせ、世界に「原宿の素晴らしさ」を発信する。
■ スティーブン・タイラー(エアロスミス)
彼だけでなくエアロスミスのメンバー全員がたい焼き好きで、 日本公演終了後大量に購入して帰国したことがあった。しかし誰かが機内で全て食べてしまい、
それを知ったスティーヴンが大激怒。バンドは解散の危機に面したと伝えられている。この話を聞いた日本のたい焼き機メーカーが、スティーヴンにたい焼き機をプレゼントした。
■ トム・クルーズ
90年代に来日したとき、時差ボケに苦しみ、真夜中にこっそりホテルを抜け出して小雨が降る中街を歩く。サラリーマンがファミレスから出てくるのを見て
「夜中の2時に雨の中を歩く背広姿の彼を見て、自分とシンクロするような、不思議な気持ちになった」という。このことがきっかけとなり日本人の気質に
興味を持つようになり、映画『ラストサムライ』で理解を深めた。
■ デビッド・ボウイ
来日して喫茶店でお茶してたら見知らぬ女子高生から宿題の英語を教えてくれと頼まれ、普通に添削してあげていた。
■ アート・ブレイキー
帰国を前にしたコメント「私は今まで世界を旅してきたが、日本ほど私の心に強い印象を残してくれた国はない。
それは演奏を聴く態度は勿論、何よりも嬉しいのは、アフリカを除いて、世界中で日本だけが我々を人間として歓迎してくれたことだ」
■ エルビス・コステロ
1991年来日。コステロ夫妻は原爆資料館をじっくり回った後、原爆ドームへ。夫妻は立ちつくし、抱き合ってひたすら泣いた。
デビッド・ボウイも日本の女子高生にはかなわないという……。