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335名無しさん@涙目です。(埼玉県)
「ダンプに乗せてもらえなかったら、確実に津波にのまれていた」…ダンプ疾走、30人救う
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110406t13047.htm
http://www.kahoku.co.jp/img/news/2011/20110406025jd.jpg

 仙台市宮城野区蒲生地区で震災発生時、地元の土建業の男性が、住民ら30人余りを
ダンプカーで運び、救助していた。
 会社周辺と避難所の中野小を往復しているうちに津波は背後まで迫ったが、必死の運転で
JR中野栄駅付近に逃れることができた。救助された住民は「ダンプに乗せてもらえなかったら、
確実に津波にのまれていた」と感謝している。

 男性は泉区の土建業小野喜満さん(41)。実家と会社は蒲生地区にあり、3月11日は
会社近くの現場で作業中に地震に遭い、大津波警報のサイレンを聞いた。
 すぐに路上にいた高齢者らを2トンダンプの荷台に乗せ、南西に約500メートル離れた
中野小に搬送。おいの小野亮輔さん(22)ら若い住民の力も借りて、2往復で約10人を
学校へ送り届けた。

 もう1往復しようと、会社付近に戻ったころ、津波が蒲生干潟の方から防波堤を越えて来た。
周辺の家屋は次々と崩れ、中野小に向かう道も刻々と水位が上がっていた。小野さんは通れる道を選び、
無我夢中でハンドルを操作。津波に追われながら、知り合いの高齢者や路肩を走って逃げていた
配送会社の従業員13人を荷台に乗せ、西側に向かった。
 中野栄駅近くで歩道橋が見えると、ダンプを乗り捨て、全員で駆け上がった。津波はぎりぎりまで
迫って、徐々に引いていった。
 歩道橋で水位が下がるのを待つ間、雪が降ってきた。小野さんは寒さの中でも、「生きている」と
実感したという。

 小野さんの知り合いで一緒に歩道橋に上り、難を逃れた主婦小野安子さん(69)は「喜満さんが
来てくれなかったら死んでいた。感謝しきれない」と語る。
 小野喜満さんの家族は無事だったが、実家と会社は津波に流された。ほぼ毎日、仕事の再開を目指して
道具の回収などに蒲生を訪れるが、「人を救えたのは良かったけど、蒲生に来るたび、
もっと助けられなかったのか、と考えてしまう」と話している。