東日本大震災 笑顔奪った見えない敵「ドドド」
東日本大震災に伴う原発事故で、相模原市緑区出身の夫婦が移住した福島県いわき市から、
記者の前任地の岐阜県多治見市に避難していると、知人から知らされた。日本画家の尾崎千頭
(せんとう)さん(62)、万亀子(まきこ)さん(63)夫妻。避難先のホテルに電話すると、「普段は明
るい住民が希望も気力も失ってしまった」と涙ながらに窮状を訴えた。 (志村彰太)
相模原市に住んでいた尾崎さんは、東京都職員の万亀子さんが定年退職したのを機に三年前、
「第二の人生はのどかなところで」と、いわき市に移り、小さな絵画教室を開いた。自然が豊かで人
情味があり、「画家としては最高の場所」。知り合いもでき、生活は充実していた。
十一日午後、万亀子さんと一緒に小高い丘の上で写生していたところ、突然「ドドド」という地響きと
激しい揺れに襲われた。ごう音を立てて工場の煙突が爆発、土煙が眼下の町を覆った。
それでも、自身が住む集落は致命傷を免れ、いったん避難した住民たちが戻ってきた。近隣同士
で助け合い、「すぐに復興する」と、みんなの表情は明るかったという。
そんな尾崎さんたちに、福島第一原発の事故が追い打ちを掛けた。徐々に広がる避難指示区域。
人は窓を閉めて屋内に引きこもり、快活な町の象徴だった井戸端会議もなくなった。「見えない敵を
相手に風向きに一喜一憂し、夜も眠れない。みんな元気をなくし、まるでゴーストタウンだった」
震災後、毎日のようにパンを分けてくれる女性がいた。十八日も来てくれたが、ビニール製の上着
にマスク姿。「よかったら、食べて」。絞り出した優しい言葉とは裏腹に、表情は引きつり、悲壮感に満
ちていた。「人相も変えてしまうのか」。見えない放射線の恐ろしさが伝わってきた。
十九日早朝、「体力的にも精神的にも限界」を迎えた。「終生の地にする」と考えていたいわき市を
車で離れ、しばらく岐阜県にとどまることにした。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20110321/CK2011032102000051.html