見渡す限り、がれきが続いた。津波と火災に襲われた岩手県山田町の中心部。約2700世帯の町が一瞬で消えた。
避難所の山田高は13日、家族と連絡が取れず途方に暮れるたちであふれた。製材会社役員の
安西良博さん(47)は、父の主税さん(79)の安否が確認できない。12日夜から13日にかけ大規模な
火災が起きた。「夜空が真っ赤に燃えていた」。不安が一層募る。
会社員狩野英夫さん(63)は「昭和35年(1960年)のチリ地震津波を経験したが今回はそれ以上。
こんな被害は予想しなかった。言葉にできない」と肩を落とした。
同校では食料が底を突きかけている。12日までは1日3回おにぎり1個を提供できたが、
13日はコメの使用量を減らすため1日2回のおかゆに変えた。加藤春男校長は「14日以降のコメがない。
何とか調達してほしい」と求めた。
船越地区。老人ホームの職員を含む入所者ら約80人が津波に流されたという。漁業男性(73)は
ホタテの養殖施設7基と漁船3隻を失った。行方不明の家族もいる。「おれにはもう命しか残っていない」とつぶやいた。
織笠地区も壊滅した。13日午前7時すぎ、介護ヘルパー昆あやこさん(62)は変わり果てたわが
家に声を失った。「礎石しか残ってない。もう家なんか建てる余裕はないんだよ。車もどこに流されたんだか」
湾を見れば、荒れ狂ったとは思えない海が広がる。振り返れば「廃虚」。長く、つらい日々が続く。
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110314t33037.htm http://www.kahoku.co.jp/img/news/2011/20110314004jd.jpg