断続的に続く余震に不安な夜を過ごした、帰宅困難の人たち。交通機関の復旧に従い、疲れた表情で帰途に就いた。
さいたま市中央区のさいたまスーパーアリーナ。十一日午後九時前に開放され、JR大宮駅に滞留した人たちなど
約五千三百人が十二日未明まで次々に訪れ、毛布にくるまった。クラッカーや水が配られ、臨時電話や携帯電話の充電所も。
同日午前五時ごろから徒歩帰宅を試みる人が出始め、京浜東北線の運転再開が伝わると多くの人が近くのさいたま新都心駅に向かった。
同市内での仕事で帰れなくなった東京都杉並区の男性臨床心理士(57)は「ほとんど眠れなかった。午前から仕事があるので帰らなくては」と話した。
本庄市では、新幹線や在来線が止まって帰れなくなった人たちのために、市役所や大学が開放された。
市役所には午後十時ごろまでに約五十人が来た。ロビーで毛布にくるまってテレビを見つめた斉藤あゆみさん(27)は、宮城県角田市が自宅。
「津波の映像を見たら、心細くなった。家は相当ぐちゃぐちゃみたい。早く帰りたい」とぼうぜんと話した。
本庄早稲田駅に隣接する早稲田リサーチパークには、新幹線の乗客約六十人が避難した。熊谷市の文化施設にも新幹線の乗客ら約七百人が避難した。
南越谷駅に近い「越谷コミュニティセンター」では、子どもを含む帰宅困難者約四百七十人が避難。深夜には毛布も運び込まれ、
職員ら九人が徹夜で対応した。会社の研修で近くまで来たという東京都江東区の男性会社員(31)は「外は寒かったので助かったが、
寝るどころではなかった」と疲れ切った表情だった。 (池田宏之、柏崎智子、大沢令)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20110313/CK2011031302000059.html