泥の街、家族は…懸命の救出活動 宮城・気仙沼

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1名無しさん@涙目です。(catv?)

 見つからない家族、流された家々。東日本巨大地震から一夜明けた12日、大津波に襲われた宮城県気仙沼市では、自衛隊や消防が懸命の救出活動を続けた。街はがれきに埋まり、被害者の安否確認はままならない。避難所に逃れた被災者らの顔には、疲労と不安の色が増している。
住宅地に乗り上げた船(12日午後、宮城県気仙沼市)
 地震発生から丸1日以上たった12日午後も、気仙沼漁港周辺は火がくすぶり、煙が空に流れていた。道路には建材や洋服が散乱。
水に押し流され、50メートルほど離れた交差点でつぶれた家もあった。

 「がんばれ、おばあちゃん、がんばれ」。犬飼スエさん(96)がぺしゃんこになった家屋から自衛隊員に救出されたのは12日夕方。
スエさんは寝たきりで、津波が襲った際、息子の広治さん夫婦を「もういいから逃げろ」と諭し、自らは家の中に残った。幸いにもこの日朝、広治さんが家に戻ると埋もれた隙間で発見。けがも少なく、命に別条はないという。

 しかし救出の吉報は多くはない。市災害対策本部の男性職員は「通信が途絶え、つながるのは消防直通の電話と無線ぐらい。
救助を急ぎたいが、全体の状況がいつまでも見えない」と焦りをにじませていた。
同本部によると、同日午後、88カ所の避難所に集まったのは計約1万4000人。水道やガスはほぼ全域でストップしたまま。
停電も続いており、夜になると本部の置かれた市役所の周囲は真っ暗になった。

 市役所では各避難所にいる人の氏名一覧を掲示。何枚も名簿をめくっては家族や知人の名を探す人であふれた。「探しています」と赤
いペンで家族らの名前を書いた紙が、壁一面に70枚以上張られている

 高台にある気仙沼中学校に設置された避難所に身を寄せた主婦の小山千枝さん(42)は自宅で被災。数百メートル下で津波の濁流が
バキバキと音を立てて家屋をのみ込んでいるのが見えたが、長女(16)と一緒に「振り返らずに必死で坂を駆け上がった」。消防団の
活動に出た夫は沿岸部で住民の避難を助けていたとみられるが、今も連絡が取れない。「無事を信じて避難所で待つことしか……」と目に涙を浮かべた。http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819695E3E0E2E5988DE3E0E2E1E0E2E3E39180EAE2E2E2