宮古市・田老 名物の10メートルの鉄壁の堤防が役に立たず浸水

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44名無しさん@涙目です。(東京都)
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/246089/www.town.taro.iwate.jp/pr
ofile/index.html

田老町の歴史は津波との闘いでした。なかでも慶長16年及び明治29年、昭和8年の3回は再起不能といわれるほどの壊滅的被害を受けています。

たび重なる津波被害に学者らの意見は高地移転でしたが、住民は「自分たちの力で津波被害を防ごう」と立ち上がり、大規模な復興計画を樹立。市街地の区画整理と防潮堤築造に取り組みました。

道路は広く碁盤の目状に高所に向かって敷設し避難しやすく、公共施設は避難場所とするため高所に移転しました。そして昭和9年に防潮堤建設に着手。戦争などで中断しながらも昭和33年、高さ10m、延長1,350mの防潮堤が完成しました。

しかし、これだけでは安全とはいえないと、市街地を二重に囲む第二、第三の防潮堤建設が進められ、昭和54年、ついに総延長2,433mの「田老万里の長城」と呼ばれる大防潮堤が完成しました。

今日では、防災無線や津波避難経路、検潮施設なども整備し、「防災の町・田老」を確立しています。