明智小五郎 VS 金田一耕助
金田一耕助の故郷 岡山県倉敷市
■名探偵ここにあり
名探偵金田一耕助は、岡山県倉敷市北部の山懐に抱かれた真備町岡田が故郷だ。小説上は東北生まれだが、
横溝正史が金田一を生み出したのが疎開先のこの地だった。創作の原点に触れようと、全国からファンが訪れている。(鈴木裕)
高梁川西岸の住宅地を抜けた田んぼの先に、横溝(1902〜81)の疎開宅が残る。木造中2階建てで延べ床面積は106平方メートル。玄関の左手奥、庭に面した6畳間が執筆の間だった。
神戸生まれの横溝は、東京の出版社で雑誌編集長などを務めた後、32年に作家生活に入った。戦争の激化に伴い、45年にこの地へ家族とともに疎開。
48年に帰京するまで3年余りを過ごし、この間に金田一が初登場する「本陣殺人事件」などを執筆・発表している。
疎開宅周辺には、事件解決のために金田一が降り立った清音駅(小説では「清―駅」)や、事件前に現れた怪人物・三本指の男が立ち寄った「一膳飯屋」など、
小説のモデルになった場所がたくさん残る。「八つ墓村」に登場し、「たたりじゃ」のセリフで知られる濃茶の尼は、疎開宅近くの「濃茶のほこら」から名付けたようだ。
「横溝先生は映画で見る金田一そのものでした」と振り返るのは、疎開宅近くの加藤昌則さん(73)。短髪に国民服が当たり前の時代に、
風変わりなボサボサの長髪に着物姿。小説の想を一心に練っていたのだろう。着物の帯がほどけ長々と引きずっているのも気付かず、もの思いにふけりながら野道を歩く姿を、住民が目撃している。
実は加藤さんの父、故・一(ひとし)さんが、横溝の創作に大きな影響を与えた。一さんは、青年学校教員時代に赴任した、
県北の山間の農村や瀬戸内海の離島の漁村の暮らしを、横溝に語って聞かせた。封建的な因習や風土と、ミステリーを結びつけた独自の作風はここから生まれた。
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