神聖かまってちゃん「つまんね」「みんな死ね」が日本ロック史に残る名盤らしい
おそるおそる聴いて驚いた。なんだ、これ、呪詛みたいなタイトルとジャケットに拘らず、人類への破格の祝福じゃないか!
“ねこラジ”で家族に別れを告げ上へ上へ塔を登る猫も、“あるてぃめっとレイザー!”で《おしっこが 私漏れそうなのです》と叫び続けるお嬢様も、
不条理な神を殺しに行く“神様それではひどいなり”も、とにかく全編から「自分らしく生きるのだ!」「僕は行くのだ!」という気高く熱狂的な自己肯定性が爆発している。
ぐちゃぐちゃの世界を俯瞰した天使の溜め息のような『つまんね』と対照的に、今作は人間の怒りのエネルギーが強い生命力となって闇雲に爆発する。
朝、通勤電車で聴いていると思わずぐっときて、でもなぜか元気になる。『みんな死ね』を聴いて元気が出てくるというややこしさこそ、彼らなりの不条理への復讐なのかもしれない。
この二枚のアルバムはつまり、寓話化された「死」と「生」を、かまってちゃんらしい生々しさで描いた異形の名盤だ。(井上貴子)
小学校の3〜4年ぐらい、クラスが社会の縮図になっていくぐらいから、「僕ら」はみんなで仲良く手を取り合い、
ほとんど本能的にお互いの言いたいことを抑え合い、誰の責任というわけでもなく窮屈でつまんない世界を作ってきた。
大人のコントロールが効かないネットの世界も、炎上を繰り返しながら徐々に現実によく似たつまんない場所に変えていったのもまた「僕ら」だ。
そしてこれといった目的もなく大きくなった「僕ら」は、当たり前のように希望がスッカスカになった大人の社会を引き継ぎ、
運転席に座る奴が誰かうっかり名乗り出ないかとありえない期待を抱きながら成す術も無く空気を読み合ってる。
/俯瞰でみたら、まるでそんな「僕ら」の集合体にしか見えない今の日本。/
そこから、とっとと弾き出されてしまった、の子の中で長年かけて形成された世界は、強い被害者意識に裏打ちされながらも開放的で楽天的で前向き。
だからこそ彼は素直にロックを鳴らすことを今、最も強みに変えられる。
そんなかまってちゃんの救世主としての真価がいよいよ発揮されたのが、この2枚。ますます目が放せない。(古河晋)
http://ro69.jp/disc/detail/45199 http://ro69.jp/disc/detail/45198