晩年というのも変だが、自死する前の三島由紀夫は奈良に魅せられていた。
遺作となった「豊饒の海」シリーズの『天人五衰』は、奈良市郊外の月修寺の場面で終わっている。
実在の円照寺という古刹(こさつ)をモデルにした尼寺である。
▼シリーズの第1作『春の雪』の主人公の友人、本多繁邦が60年ぶりに寺の庭と対面する。
そして「何もないところへ、自分は来てしまった」と謎のような独白を残す。
三島は昭和45年11月25日朝、この場面を書き上げて、市谷の自衛隊に向かったとされる。
▼円照寺は何回か訪ねたことがある。この時期には、寺門の脇でカエデが赤々と燃え、
物音ひとつしない清浄な空間だった記憶がある。三島も何回か取材で訪れたという。
だがなぜこの寺を選んだのか、今となっては分からないということだった。
▼昭和41年には桜井市の大神(おおみわ)神社に、3泊4日で参籠(さんろう)している。
その感想を「清明」という2文字で色紙に残した。さらにこの年の6月には、
奈良市の率川(いさがわ)神社の三枝祭を見学した。「豊饒の海」第2作の『奔馬』で
「これほど美しい神事は見たことがなかった」と書いている。
▼三枝祭は巫女(みこ)たちが笹百合(ささゆり)の花を手に、一心不乱に踊る祭りである。
『奔馬』の飯沼勲という青年はこの百合の花を東京へ持ち帰り、ある反乱軍に加わるとき、
胸ポケットに潜ませようとする。反乱が「清浄無垢(むく)な戦争」であることを後世に残すためだった。
▼三島が奈良で惹(ひ)かれていたのは「清浄」だとか「清明」「無垢」というピュアなものだった。
それが政治の一新を求め、修羅場を演じることになる。
あと4日で40年を迎えようという今も、事件が多くの日本人の脳裏から離れない理由なのだろう。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/101121/trd1011210314001-n1.htm