尖閣ビデオ流出事件で考えたこと - 藤沢数希
アゴラ(藤沢数希)
提供:アゴラ(藤沢数希) - 言論プラットフォーム
2010年11月10日23時23分
日本国政府が公開を拒んできた尖閣諸島での漁船衝突事件のビデオが、
動画投稿サイトのYouTubeに11月4日に流出して、ツイッターや2chなどで騒然となった。
これに対して政府は流出させた「犯人」を捕まえるべく、
GoogleからIPアドレスなどのデータを差し押さえて刑事事件として捜査していた。
新聞報道等によれば、本日、犯人と思わしき人物が出頭したとこのことである。
政府、検察、そして記者クラブ関係のマスメディアで構成される日本の権力のトライアングルの中で、
権力側に都合のいい情報がマスメディアにそれとなくリークされ、
それをテレビや新聞が報道するというのは日本ではお馴染みの風景だ。
しかし今回は政府側の意図せざる情報が、マスメディアとは対立している、
あるいは下に見られているYoutubeというネットメディアで公開された。
インターネットですでに多くの人が見終わったビデオを、半日も遅れてから権威あるマスメディアが後追いで報道していたのである。
こうして「犯人」は日本の国家権力のど真ん中の人たちのメンツを潰したのである。
ある意味で痛快な事件であった。案の定「犯人」はネット上で多くの人から賞賛されているようである。
さて、外交面や上で述べたような事件の構図に関しては、さまざまな識者による言説がすでにネット上に溢れているので、
筆者は今回は別の観点からもう少し「情報社会」について考察したい。
古今東西、権力や権威といったものの源泉は常に情報だった。
また商取引でも儲けの源泉は多くの場合情報の非対称性だ。
つまりより重要な情報を持っている者が情報の流通経路をコントロールすることにより、情報を持っていない者を支配するのだ。
こういった支配、被支配の関係は現在でも日常生活の至ることころで観察される。
http://news.livedoor.com/article/detail/5131353/