ドイツ社会学者「日本の問題は 『個人化』 である、人々は裸の個人として人生の運営を迫られている」

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1 戸越銀次郎(dion軍)

「個人化」の不安 日本にも 社会学者ベック氏、初来日

リスク社会」などのユニークな分析概念を提示したことで知られるドイツの社会学者ウルリッヒ・ベック氏(66)が、初めて来日した。
1986年、チェルノブイリ事故がもたらした衝撃下で世界的なリスクの登場に警鐘を鳴らしてから、間もなく四半世紀。
日本に降り立った世界的研究者は、アジアをも巻き込む「個人化」の深化に注意を促した。

■リスク社会化と同時進行

 産業化が「成功」した結果として、原発事故に象徴されるような、予測することも保障することも不可能な世界的リスクが登場してきた。
近代社会は今、自らが意図せず生み出した課題に向き合うことを強いられる段階、いわば「再帰的近代」と呼ぶべき新段階を迎えつつある――。

 ベック氏は86年、著書『危険社会』でそのような分析を提示し、注目された(88年に邦訳)。
先月30日に初来日。成田空港から東京都内へ移動する車中で取材に応じた。

 リスク社会という概念は今も有効なのかと尋ねると、ベック氏は微笑を浮かべながら「その通り」と答えた。

 原発から出る放射性廃棄物を1万年間管理しなければならないとして、その危険性を未来にどう伝えるのか、
今の言語が1万年後も通じるなどとは想定できまい、と。

 現在注目すべきリスクは何かとの問いには、核を含めた環境問題、経済変動、テロの3種だと語った。
「世界的リスクはチャンスにも道を開く。防止のため『国境を越え』動き始めた人々がすでに存在するだろう」とも。

 ただし氏が今回自ら力説したのは、リスク社会論ではなく「個人化」だった。男女平等化などが進んだ結果、
家族や階級といった「集合的カテゴリー」から個人が解放されると同時に、
個々人が裸の個人として自らの人生を運営するよう迫られもする。近代後期の、そんな新現象だ。

 「たとえば日本では企業が個人に保障を与えてきた。個人化とはそうした保障の外へ出て自由になることだが、新たな不安定も発生する」

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201011110291.html