伝説の女流棋士・林葉直子さん、久々のプロ対局で敗北 それより読売の写真がもういじめレベル

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82 64式7.62mm小銃(東京都)
この凄まじい人生 もうすぐ死ぬと言われても納得するレベル


1979年に11歳で女流アマ名人戦に優勝。同年、奨励会に6級で入会(1984年まで奨励会在籍)。
小学校在学中に米長邦雄永世棋聖宅に住み込みの内弟子として師事。当時の内弟子仲間に
先崎学らがいる(先崎曰く、林葉と喧嘩をして、よく泣かされていた[1])。1980年に女流2級でプロ入りし、
1982年4月に14歳で初タイトルの女流王将となる。女流王将戦を10連覇する。

1983年9月15日「徹子の部屋」(テレビ朝日)にゲスト出演。1994年5月29日、「インドのサイババの
ところへ行く」と米長邦雄に言い残し、日本将棋連盟に休養願いを提出した直後に失踪。7月18日に
滞在先のイギリスから帰国。将棋連盟から10月末日までの出場停止と約150万円の損害金の支払い
などの処分を受けた。そして翌年の1995年8月に、将棋連盟を退会する。段位は女流五段だった。

1995年、将棋連盟を退会した同時期に写真集『CONFESSION 告白』にてヘアヌードを発表。
続く一連の写真集でも豊胸術後[2]の乳房をはじめ、肢体を露出させる。

1980年代から1990年代にかけてライトノベル(ティーンズ向け小説)を執筆。その後も「かとりまさる」
というペンネームで漫画原作を執筆する。六本木で「Woo Curry」というインド料理店を経営する
(2004年開業、2005年11月閉店)。タレント、タロット占い師としても活動する。2006年ころに自己破産し、
1億2千万円の実家を差し押さえられる。同年11月29日にインターネットTV『超人大陸』でインタビューを
受ける。2007年1月1日放送の、日本テレビ系『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』にゲスト出演し、
自己破産をテーマに講演する。

2010年、日本女子プロ将棋協会(LPSA)の公式棋戦である日レスインビテーションカップに主催者の
日本レストランシステム特別推薦で出場が決定し、招待選手として約15年ぶりにプロ棋戦に復帰[3]。
7月28日に中倉彰子女流初段と対局したが74手で敗北した。