一般的には「非モテ」で「オタク」な男性の一部が処女厨になるというのが定説らしい
620 :
ツノダシ(catv?):
恋愛(惨事)に興味の無い男性に対して、「すっぱい葡萄」の論理を振りかざし、
「本当は興味あるんだろ?でも手に入らないから興味ないってことにしてるんだろ?」
と言い張る無知はいまだに後を絶たない。
しかしながら、実社会においてはすでに、「狐」と「葡萄」は逆転しているのである。
現実に起こっている事象から判断すれば、現状は明らかに、
多くの男性が恋愛もしくは結婚したがっていない、状態なのであって、その逆ではなく、
一方で2ちゃんねるにおいては、「恋愛しない男」へのレッテル貼りやヒステリックな攻撃が後を絶たない。
いわく、
「恋愛しない男はゲイ(ホモ)」
「恋愛しない男は貧乏」
「恋愛しない男はブサイク」
「恋愛しない男はキモオタ」
「恋愛しない男は生物として障害」
「恋愛しない男は人づきあいができない幼稚な人間」など。
さて、この状況、何かを思いださせないだろうか。
そう、これぞまさしく、「あの葡萄(男)は酸っぱい(オタ、貧乏、草食系、etc)に違いない」の論理である。
無知たちが思い込んでいた「葡萄=女」「狐=男」という構図はここにおいて逆転している。
しかも、これまでの「葡萄=女」が人工的にライトアップされショーケースに並べられた
(つまり本来持っている価値とは無関係に大きく値をつり上げられた)ものであり、
「狐=男」が葡萄を欲しがっているという前提が崩れれば
たちまち腐ってしまう(生活が立ち行かなくなる)ものだったのに対して、
今の「葡萄=男」は生きた樹木に繋がって(一定の経済力を持って)おり、
「狐=女」がいようといまいと実を結ぶ(生活を営む)ことができる。
狐はただ、「あの葡萄は酸っぱい」と呟くのみ。