若者のケンカ離れが深刻化 ←new!

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1 黒板(東京都)

最近の若者の深刻なケンカ離れ
1970年代ぐらいだろうか。「最近の子供は取っ組み合いのケンカをしなくなった」と言われた。
もちろんそれは当時「良い事」ではなく「憂うべき事」として語られた。

子供はケンカを通して他人とのつきあい方を学んでいく。
それなのに近ごろ(当時)は親も教師も「ケンカをするのはけしからん」といって止めるので、
このままでは他人とのつきあい方を知らずに大人になってしまう、と。

しかしいつしかそういう警鐘を鳴らす声も聞かれなくなっていった。そして月日は流れ、今や当時の子供が親になっている。
昔『戦争を知らない子供たち』という歌があったが、“ケンカを知らない子供たち”が今や人の親になっている。

直接的なケンカをしなくなったからといって、人間が持って生まれた攻撃本能はなくならず、それは校内暴力やイジメなど形を変えていった。

しかし自分が能動的に行うケンカと違い、校内暴力の場合大半の生徒は傍観者だし、イジメもいじめる側の大半は消極的な参加(傍観)者だ。
やはり人は積極的にケンカの当事者にならないと成長しないと思う。そうでないとそこから様々な事が学べない。

もちろんケンカのような野蛮なものでなくてもクラブ活動や生徒会の活動など健全な活動を通して学ぶことも出来る。
しかしそれはそれぞれのリーダー格の一部の生徒だけだろう。その他大勢は自分と釣り合う低レベル(笑)の人間と泥臭いケンカして学ぶしかないのだ。

『2ちゃんねる』はネットにおいて“ケンカをする場”の良き提供者になっていたと思う。罵倒(ばとう)と煽(あお)り合い。
「拳(こぶし)で語り合う」というのは何かのゲームのコピーだが、まさに『2ちゃんねる』はそういう場を提供していた。

むろん泥臭いケンカでなくて、お行儀のいい議論の場でも学ぶことは出来る。
しかし勘違いしている人が少なくないのだが、お行儀の良い議論とは“優しい”とか“思いやりのある”議論ではない。
むしろ真剣勝負であり、内容は辛辣(しんらつ)だし、逆に感情的な甘えは許されない。

続き
http://getnews.jp/archives/56358