減り続ける「木魚」製造業者

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1 ガムテープ(愛媛県)

 亡くなった人の冥福を祈る遺族の心を和ませる木魚の音色。お盆などの法要には欠かせないが、
安価な中国産や機械化生産に押され、高齢と後継者不足も相まって、国内の製造元は数軒しか
残っていない。そんな中、かたくなに手作り木魚にこだわる一宮市の父親が、脱サラした息子に、
背中で黙々と「匠の技」を伝えている。【渡辺隆文】
 木魚は読経の調子をとるために用いられる。一般的にクスノキを材料とし、内側をくりぬいて表面
に模様を彫り込む。江戸時代に中国から伝わったとされ、主に京都で生産されていたが、明治時代に
京都の職人が仏具業者が多い名古屋市周辺に移り住み、愛知県で生産されるようになった。
 一宮市三ツ井の加藤木魚製造所は、先代の故加藤松男さんが戦前に創業した。10人前後の職人が
いたが、戦争で召集され、戻ってきても修業する人は少なかった。いまでは二代目の春男さん(74)
と長男の寿和さん(45)が並んで座り、ノミをふるっている。
 木魚作りは仕入れたクスノキを日陰で5年ほど保存した後、ノコギリでさまざまな大きさにカット。
中をくりぬき、さらに3〜5年間乾燥させる。最後に木魚に命を吹き込む「音だし」という最も神経をと
ぎすませる作業を経て終了する。手間と時間がかかる手仕事だ。
 春男さんは、寿和さんに伝統を守るため高校卒業と同時に後を継いでもらいたかった。だが寿和
さんは大学卒業後、東京の企業に就職した。その時に2人は「5年働いたら後を継ぐ」と約束したが、
寿和さん自身は「外で働けば後は継がなくていい」と考えていたという。
 就職から4年が過ぎたころ、寿和さんは、担当していた経理という仕事に疑問を持つようになった。
「お金に名札を付けているみたいで、結果が形として表れない。父の仕事は形として残り、
何世代にも使ってもらえる」。そして、後を継ぐ決意をした。

続き
http://mainichi.jp/area/aichi/sunday/news/20100418ddlk23040187000c.html