静御前が眠る町、栗橋

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1 ホッチキス(アラバマ州)

 栗橋(旧栗橋町、現久喜市)に、静御前の墓があるのをご存じだろうか。奥州に逃れた源義経を追って来たが、討たれたと聞き、
悲しみのあまり剃髪(ていはつ)して菩提(ぼだい)を弔おうとした。しかし、この地で病にかかって亡くなり、葬られたという。

 1889(明治22)年、近隣の6村が合併する際、どの村名も名乗らず静村とした。何となく静への情があったのだろうか。
河川改修などで現在の茨城県古河市に移ったとされる光了寺には、静御前の舞の衣裳(いしょう)の一部が残っているという。
 栗橋という地名について。江戸時代の文献には、「いにしへくり舟などさきに舟橋をもうけしゆえ」とあるそうだ。「くりふね」とは、
両岸に柱を立てて綱を張り、その綱を手繰って進める舟のこと。手繰り舟というような意味だろう。「転舟」と書いて
「クリフネ」とも読むらしい。

 静が向かったということでも分かるように、奥州への道だった。日光街道の宿場であり、要所でもある。外様である
伊達藩の行動を警戒し、江戸時代には橋を造らなかったとも言われる。将軍の日光参拝の際は、船を横に並べて
その上に板を乗せ、橋の代わりにしたという。
 国道4号の利根川橋南詰の土手下に、江戸時代の関所跡という標識が立っている。かつては利根川と渡良瀬川を
渡らなければならなかったらしいが、二つの川を合流させたのだという。埼玉県と茨城県の行政区分と歴史が入り
組んでいると言われるのは、その故でもあるのだろう。

奥州へ行かん静に橋もなく川に堰(せ)かるる思い深けれ ななも

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