“ハイチに千羽鶴”を考える
「ハイチ大地震の被災者を元気づけるため千羽鶴を贈ろう」という動きが、コミュニティサイト『mixi』で広がり、
全国から折り鶴が続々と集まっているとの報道があった。これに対しネット上では「被災地に迷惑だ」との
批判が相次いでいる。
ブログでも「これこそ、日本人の“平和ボケ”の例」「普通の救援物資ですら空港や港が破壊されて
満足に届けることもできない状況で、千羽鶴を送ることがどういうことかは想像が付きそうなもの」
などの声が多数見られる。「何かをしてあげたい、喜んで貰いたいと思う気持ちは尊いものです」という
『心理カウンセラー日記』のブロガーも、千羽鶴ではなく「清潔な水、清潔な毛布、清潔な食料が必要」
「少しでも我々ができることは、義援金を送ること」と主張する。
しかし、『Scarborough Fair』のブロガーは、「義援金を送るほうが歓迎される」としながら、
「現時点でなにもしていない自分には、(発起人の)この子を叩くことはできません」との見解だ。
「存在が遠すぎる」ハイチに、支援したいと思わなかった自分より「たとえ偽善だったとしても、
“千羽鶴を折る!”という行動をしようとすることができたこの人は素晴らしいと思います」という。
「自己満足だの偽善だのと責めるほどのことでもないし、反論されて腹をたてる話でもないような。
人のことはどうでもええから、とりあえず自分が何かするってことが大事なんちゃう」との意見も。
ハイチには今なお命の危機にさらされている被災者が大勢いる。それに対し、鶴を折る人、
批判に熱心で自らは何も行動しない人、いずれも今の日本人の姿なのだ。
http://news.cocolog-nifty.com/cs/article/detail/blog-201001291048/1.htm