小沢先生大勝利! 検察超大敗北ww  ネトウヨ、自民、宮内庁は日本出る準備しろよ

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583 サインペン(熊本県)
おい、お前が大事な大事な検察様が誹謗中傷を浴びせられてるぞ!
さっさと検察様を擁護しろよw

http://yomuyomu.tea-nifty.com/dokushononiwa/2007/09/post_b09f.html

国策捜査の非情さの例として、鈴木宗男事務所の佐藤玲子氏を死に至らしめる結果になった話が挙げられていました。
佐藤氏は2002年7月23日に、政治資金規正法に基づく収支報告書の不記載の容疑で逮捕されましたが、政治資金報告の責任者は代表者なので、一事務員には責任が及びません。
なんの権限もないから、逮捕しても起訴できない。それを承知で彼女を捕まえたのは、鈴木宗男に不利な供述調書をつくるためです。

彼女は4月末に子宮がんの大手術をしたばかりだったのに、手術前から検察は病院に押し掛けて事情聴取、手術後の自宅療養中にも押し掛けていました。
7年前に乳がんで大手術をしたあとの転移の手術であり、放射線治療で通院している最中に逮捕したわけです。
小菅の医療施設では放射線治療は受けられない状況でした。その中で、彼女から真実ではない調書をとります。
彼女は、鈴木宗男の第一回目の公判で、「鈴木の指示は受けていません。検察の作られたシナリオに乗ってしまいました」と証言しました。
しかし、一審の裁判長は、調書のほうが信用性が高いとして、彼女の証言を退けます。

そして、8月13日に彼女は釈放され、鈴木宗男が8月29日に保釈になった時点では、彼女は入院中だった。
しかし、検察の保釈条件は、佐藤玲子との接触はダメということになっていた。電話もダメ、人を介しての連絡もダメ。接触すればまた収監し、保釈金も没収という条件。
結局2003年9月20日に彼女は亡くなります。鈴木宗男は、佐藤さんの生存中に会うことはかなわず、翌年夏にお墓参りをするのが精一杯だった、といいます。