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168 泡立て器(東京都)
スレタイ:
朝日「今日は日米開戦の日。伝える言葉に力を宿らせたい」

本文:
今年の3月10日、東京大空襲の日の小欄で「戦争と平和をめぐる言葉の空疎化」について書いた。〈たとえば「戦争の悲惨さ」「命の大切さ」と言う。
便利なだけに手垢(てあか)にまみれ、もはや中身はからっぽの感が強い〉と。少し言い過ぎかと思ったが、賛同の手紙を何通か頂戴(ちょうだい)した

▼「平和の大切さ」も同じだろう。この手の紋切り型は納まりがよく、人を分かったような気にさせる。一方でものごとを抽象化し、どこか他人事のように遠ざける。
往々にして、そこから先の問題意識と想像力を封じてしまう

▼新聞も偉そうなことは言えない。「命の大切さを訴えた」「戦争の悲惨さを胸に」式の表現はけっこう目立つ。これで記事は一丁あがり、では書き手の考えも深まっていかない

▼批評家の小林秀雄が能について述べた一節を思い出す。〈美しい「花」がある、「花」の美しさという様(よう)なものはない〉。
名高いくだりを借りて大胆に言うなら、「『大切な命』がある。『命の大切さ』という様なものはない」となろうか

▼抽象的な「命の大切さ」でおしまいにせず、ひとりの「大切な命」についてこそが、もっと語られるべきだろう。
「戦争の悲惨さ」は遠くても、「悲惨な戦争」の体験を聞けば、平和への思いは質量を増していくに違いない

▼今日が何の日かを知らない若い世代が、ずいぶん増えていると聞く。わが身も含めて4人に3人が戦後生まれになった今、風化はいっそう容赦ない。
伝える言葉に力を宿らせたいと、かつて破滅への道を踏み出した日米開戦の日に思う。

ttp://www.asahi.com/paper/column20091208.html