大きな注目を集めた行政刷新会議の「事業仕分け」。いろいろな事業にどんどん「廃止」「削減」の判定が下される。
「ムダ」とレッテルを張られた事業に携わっている人たちはどんな思いなのだろう、とふと考える。
しかし、たとえば自治体やNPOなどでその事業に直接、かかわってきた人たちはどうだろう。
「廃止」に分類された「温暖化防止活動啓発のための一村一品・知恵の環(わ)づくり」では、シンボルになっているエコカーを運転している人、
間近に迫ったコンテストの準備に追われている人などがインタビューに答え、「残念です」と寂しそうに語っていた。
たしかに「コンテストに3億円、各都道府県に550万円ずつの予算」と聞けば、「そんなに使わなくてもエコ活動はできるんじゃない?」と言いたくなるのもわかる。
ただ、現場の人たちに対しては、「はい、ムダだから廃止ね」ではなくて、これまでの意義を認めたうえで、なぜ廃止と分類されるに至ったか、
十分な説明が行われてなくてはならないだろう。本当ならば、仕分け人たちは官僚にだけ結果を伝えるのではなくて、
現場に出向いて直接、事業に携わる人たちに話をするくらいのことがあってもよいはずだ。
それにしても、「削減」や「廃止」はどんな基準で決定されたのだろう。科学技術関連の削減にノーベル賞学者らが抗議を表明したが、
官邸に首相を訪れた小柴昌俊氏は言ったという。「我々の研究は、社会の役には立たないが、人類の知恵を増やすためにやっている」。
何ごとも利益、効率優先の今、こういった率直な説明に「なるほど」とうなずく人がどのくらいいるだろう。「え、社会の役に立たないの? じゃ、廃止で」となってしまうのではないか。
就職活動をしてもなかなか就職先が決まらない学生が、苦笑いしながら言った。
「僕なんかに給料出してもすぐに回収できそうにない、ってことで『ムダ』に仕分けされちゃったんですかね」。
もちろんそんなことはないはずだが、「ムダだから削減、廃止」の連発を見ているうちに、「もしかしたらいつか“人間仕分け”も……」とつい想像してしまった。
http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20091201ddlk13070299000c.html 就活生「僕なんかに給料出してもすぐに回収できそうにない。『ムダ』に仕分けかぁ」
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