スズキすごすぎワロタ

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17 モズク
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h21/jog599.html

「真剣に話を聞いてくれたのはミスター・スズキだけだった」

昭和57(1982)年、スズキはインドへの進出を決めたのだが、それはまさに「瓢箪から駒」から始まった。
パキスタン出張中の社員が、帰りのエア・インディア機中で現地の新聞を読み、
「インド政府が国民車構想のパートナーを募集」という記事を見つけた。
その報告を聞いた鈴木は、「すぐにインド政府に申し込んでこい」と指示した。

ところがすでに募集は締め切りになっていて、スズキの申し 込みは断られてしまった。
鈴木は「いいか。セールスは断られたときからだ勝負だ。
あきらめずに掛け合ってこい」と再び、社員を現地に派遣した。
その申し出も断られたが、3度目の掛け合いで、ようやく補欠で認められた。

しばらくして、突然、インド政府の調査団がやってくる、という連絡が入った。
運悪く、鈴木は前年に提携したばかりのGMとの話し合いで、アメリカに出張する直前だった。
なんとか羽田に向かう際の時間をやりくりして、一行の泊まっている帝国ホテルに表敬訪問をした。

 30分程度のつもりだったが、先方が「作りかけの建物(工場)もすでにある」と
いうので、細かなレイアウトを描きながら、3時間くらい話し込んだ。先方も熱心に耳を傾けていた。

別れ際、いつまで日本にいるのか、と聞くと、「15日にはインドに帰る」という
鈴木が米国出張から戻るのは16日だった。心残りだったが、「ぜひスズキの工場も見ていって下さい」と別れた。

 米国から帰ると、インドの調査団が帰国を伸ばして、鈴木を待っていた。
彼らは、当然、他の日本メーカーとも話し合っていたが、
「われわれと直接向かい合って、真剣に話を聞いてくれた社長は、ミスター・スズキだけだった。
だから、もう一度、浜松に来たのです」と言った。