日本最大の地下軍需工場「大谷石採石場」 複雑な迷宮の全容は誰も知らない
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桜(福島県):
地下軍需工場 暗闇の中 過ごした青春
幻想的な照明に岩肌が浮かび上がる地下坑内。その片隅で、ぽっかりと暗闇が口を開けていた。深淵(しんえん)を
のぞき込むと、そのまま六十四年前に引き込まれそうになる。
大谷石の地下採石場跡が残る宇都宮市大谷町の大谷資料館。その一角に「地下軍事工場」と書かれた看板が掛かった
空間がある。「隣の山までトンネルでつながっているんです。崩落の危険があるので、奥には入れませんけど」。同館
職員の舘野貴雄さん(26)が教えてくれた。
一九四五年三月、同市西原町にあった中島飛行機(現富士重工業)宇都宮製作所が空襲を避け、工場ごと地下採石場
に疎開した。総面積五・八ヘクタール。甲子園球場がすっぽり入る巨大な空間に一千台の機械が並んだ。地下工場と
しては、日本一の規模を誇った。
地下三十メートルの暗闇の中で戦闘機造りに携わったのは、学徒動員された女学生たちだった。当時十七歳で真岡
高等女学校(現県立真岡女子高)三年だった小倉一枝さん(81)もその一人。四四年十一月、同級生二百人とともに
配属された。
「夏でも寒くてね。手が霜焼けみたいになった」と振り返る。坑内の平均気温は八度。親の着物をほどいて作った
もんぺをはいたが、それでも歯がガチガチと鳴った。
仕事は水平尾翼の製造。朝八時から夕方五時まで震える手で金づちを持ち、ジュラルミンの板にびょうを打ち続けた。
湿気がひどく、機械はすぐにさびる。劣悪な環境下で倒れる者もいた。
<大谷の地下工場>
1942年夏に宇都宮製作所の分工場計画が持ち上がり、整備は翌年2月から始まっていた。米軍の戦後報告では
学徒動員の生徒や工員ら8873人が勤務。国内に約100カ所あった地下工場の中で最も大きく、終戦まで存在に
気付かなかった米軍は、規模の大きさに驚愕(きょうがく)したという。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20090815/CK2009081502000098.html http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20090815/images/PK2009081502100022_size0.jpg
2 :
スズナ(長屋):2009/08/16(日) 08:34:22.75 ID:L3gOWl8u
イーッ!
3 :
チドリソウ(東京都):2009/08/16(日) 08:35:29.66 ID:NHDw8xN9
受付のお姉さんがえらい美人だった気がする
4 :
ハボタン(東京都):2009/08/16(日) 08:49:30.87 ID:U+s7yumQ BE:339060863-2BP(0)
5 :
ジュウニヒトエ(ネブラスカ州):2009/08/16(日) 08:50:19.28 ID:MGnKBMPM
例の地下ダンジョンか
6 :
タツタソウ(埼玉県):2009/08/16(日) 08:51:05.72 ID:k5On0uCt
地下といえば
三回連続で地震があったアレは地下での核実kうわなにをすr
もっと画像ないの?
8 :
オウレン(和歌山県):2009/08/16(日) 09:22:58.35 ID:1YFUjgki
重機とかまだない時代にようやるわ
9 :
パンジー(関東・甲信越):2009/08/16(日) 09:34:14.31 ID:63zals+b
太平洋戦争という名のゲームのクリア後ダンジョンだな
10 :
アクイレギア・スコプロラム(神奈川県):
この近辺で大地震がおきれば、あちらこちらでごそっと陥没。
陥没したところに水がたまれば観光名所の誕生よ。新五色沼。