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137 ハナイバナ(アラバマ州)
脚本家・花田十輝の祖父、文芸評論家・花田清輝が生誕百周年迎える

花田清輝 生誕100年特集(その1) 井波律子・評

花田清輝は1909(明治42)年3月29日生まれ。65年の生涯を通じて文学や芸術の評論、小説から戯曲までを幅広く手掛け、多分野の後進に影響を与えました。
今回は生誕100年特集として、川本三郎さんと井波律子さんが、それぞれの視点から花田作品を評します。
池内紀さんによる「この人・この3冊」、佐藤忠男さんの「好きなもの」も、併せてお読みください。

◇「否」と言うための活劇的レトリック
花田清輝は稀代(きたい)のレトリシアンである。花田清輝は戦後まもなく、ダンテ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、マキャベリ、コペルニクス等々、二十一人の異才群像を縦横無尽に論じた『復興期の精神』をもって鮮烈に登場した。
戦時下で書き継がれたこの作品において、花田清輝はみごとな「韜晦(とうかい)」ぶりを示している。
概して韜晦というと、陰気くさくてじめじめした印象がつきまとうが、花田の場合はおよそ異質であり、多種多様の要素をこれでもか、これでもかとはなばなしく並べたてる、満艦飾型の韜晦なのだ。
つまるところ、花田清輝はこうした目もあやな多元的語り口をもって、一極集中、一元化をこととする強権的な思考様式に対し根柢的(ラジカル)な挑戦を仕掛けているのである。
もっとも、花田の挑戦は深刻荘重なポーズとは無縁であり、我をも人をも笑い飛ばす老獪(ろうかい)にして痛快なユーモア精神に満ちあふれている。
なにしろ、『復興期の精神』初版の跋(ばつ)で、「戦争中、私は少々しゃれた仕事をしてみたいと思った。そこで率直な良心派のなかにまじって、たくみにレトリックを使いながら、この一連のエッセイを書いた。
良心派は捕縛されたが、私は完全に無視された。いまとなっては、殉教者面ができないのが残念でたまらない。思うに、いささかたくみにレトリックを使いすぎたのである」
と言ってのけるのだから、どう見てもタダモノではない。

記事全文
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/archive/news/2009/07/20090719ddm015070031000c.html