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406 アメリカヤマボウシ(神奈川県)
十一世紀頃の人口 一位ゴルドバ 五位は東の外れの何してたかわからん日本とか言う国の京都


一筆入魂:異教徒・異民族が併存したスペイン文化のエネルギー
紀元1000年ごろの世界の大都市は、10年ほど前のニューズウィーク誌によれば、
第1位がコルドバ(現スペイン)で人口が50万人ほどいたという。第2位が宋の首都・開封(中国)、
第3位がイスタンブール、そして4位が何とアンコールワット、5位が京都。当時の京都は20万人を超えていたらしい。

そのコルドバを含む南スペインは行きたいと思いつつ、何となく機会を逃していた。
それにしてもスペインはアメリカや他のヨーロッパ諸国とも違って、魅力的な国だった。
どこへ行ってもキリスト教、イスラム教が併存した建物があり、とくにコルドバはユダヤ教も共存していたというから、
その文化の混合、人の歴史が他のヨーロッパ諸国と違った雰囲気をかもし出しているのだろう。
特に、1000年前の当時のコルドバは科学、医学、文学、芸術、音楽など文明活動の拠点であり、
有名な大学、学校、商店街、市場、公衆浴場などが集まっていたという。

考えてみれば、11〜12世紀ぐらいまでの文明の拠点は東の中国、シルクロードの中央アジア、
そして紀元前から地中海を囲むイタリア、ギリシャとトルコ、シリアなどの中東諸国、チュニジア、エジプト、モロッコなどの
北アフリカがつねに勢力争いをしていた地域である。その中で地中海の西の端、ヨーロッパの南の端に位置するスペインは、
それこそキリスト教、イスラム教などの戦乱の場として歴史を重ねてきたのだ。
常識的に考えると、宗教や民族がからむ大戦争になると相手の寺院や街を破壊するケースが多いのに、
100年以上かけて建造する寺院や宮殿の建築中に支配者がかわると外見はそのままにして
礼拝所や宮殿だけを民族色、宗教色を一層強めたのかもしれない。

スペインにはピカソ、ベラスケス、ゴヤ、ガウディなどの個性的な芸術家が輩出しているのも
そんなスペインの地政学的な場所が関係しているように思えた。
同じくらいの世代の親しみやすい好人物の人たちと“一期一会”的な旅をする楽しさもまたなかなかの味だった。

http://mainichi.jp/life/today/news/20090709org00m020009000c.html