6月24日付・裁判所は進歩したか
2009/06/24 09:19
その表現は苦渋に満ちていた。よほど認めたくなかったのだろう。「疑いをさしはさむ余地のない程度に確信するに至らない」。
死刑確定から一転して無罪となった財田川事件。25年前、再審で裁判所が言い渡した判決文の一節だ。
30年以上、被告側の言い分をことごとく無視してきた組織である。検察側がでっち上げた証拠や自白に疑問を示すのが精いっぱいだった。
もちろん謝罪の言葉などあるわけもない。検察、警察も同様だ。冤罪[えんざい]が証明されるだけで画期的、そんな時代だった。
しかし今はそうはいかない。冤罪となれば、検察、警察のみならず、裁判所に対しても市民は容赦なく厳しい目を向ける。
無罪判決を出せばそれで終わり、では決してない。
足利事件で栃木県警本部長が菅家利和さんに謝り、検察が謝罪会見を開いたのも、そうした視線を意識してのことだ。
それぞれ検証チームをつくって捜査の問題点を洗い出すことも決めた。冤罪は許されないが、対応は格段に進歩した。
残るは裁判所だ。足利事件の再審開始が決定し、年内にも無罪判決が出る見通しとなった。
その時、裁判所は裁判所自らの非を認め、裁判も含めた冤罪の構造を解き明かすのか。
それとも従来通り、粛々と無罪を言い渡すだけに終わるのか。
裁判員制度が始まり、これまで以上に裁判所へ注目が集まっている。
これからどんな人たちと一緒に裁判にかかわっていくのか、裁判所は進歩しているのか、足利事件でそれを知ることになる。
http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/column/article.aspx?id=20090624000061