「探査機貸与で効果」/不発弾対策 麻生首相、期待感/基地問題 踏み込まず
麻生太郎首相は23日、沖縄全戦没者追悼式に出席し、戦後64年たってもなお県内に
埋没する不発弾問題について「補償と対策は国と地方に分けて取り組んでおり、仲井真
弘多知事とともに安全対策基金を新たにつくった」と説明した。その上で、来年度から民間
も含めた磁気探査機の無償貸与を実施することに「鉄の嵐といわれたほど爆撃を受けた
地域があり、山間部を含めうまく利用してもらえれば(探査の)効果が上がるのではないか。
さまざまな取り組みをしていく」と述べ、貸与事業による一定の成果に期待感を示した。
悼式後、記者団の質問に答えた。
http://www.okinawatimes.co.jp/news/2009-06-24-M_1-002-1_003.html?PSID=7f696e8f3816cfa8b5515e7b336d608d 「中将→大将」「鉄の暴風→嵐」首相、沖縄戦で事実誤認
麻生首相は沖縄の「慰霊の日」の23日、沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園
で沖縄全戦没者追悼式に出席後、記者団に対し、「我々は(沖縄戦の)記憶のある世代。
私には特別な思いがある」と語ったが、そのわりには発言に事実誤認もあった。
首相は「当時、確か、牛島満という大将、司令官、長(ちょう)さんという参謀長、大田大将
の方が有名だが、このお二方(牛島、長)が自決されたのが、確か23日で、この日が戦没
者追悼式になった」と知識を披露した。だが、「沖縄県民かく戦へり。県民に対し後世特別の
御高配を賜らんことを」と打電して後に自決した大田実氏は大将ではなく少将(死後中将)。
さらに、首相は不発弾処理に言及するなかで「あのときは『鉄の嵐』と言われるほど爆弾が
降った。『鉄の嵐』なんて言葉、もうあなたの世代では通じませんがね」と語った。1950年に
沖縄タイムスの記者が住民の証言をまとめた「鉄の暴風」は沖縄戦の激烈さの代名詞になっ
ているが、「鉄の嵐」という言葉はあまり一般的ではない。
http://www.asahi.com/politics/update/0623/TKY200906230352.html