ナポレオニックの魅力

このエントリーをはてなブックマークに追加
1 雪割草ユキワリソウ(福島県)

■「私のいうべきことなすべきことを、突如としてひそかに私に啓示してくれるのは天才ではなく、
  熟慮であり、瞑想なのだ」(ナポレオン)

ベルギー中部のワーテルロー。午前8時半、対峙する英国やプロシア、オランダなどからなる混成軍を前に、
復位したばかりのフラン皇帝、ナポレオンは側近のスルト元帥に断言した。
「われわれには9割の勝算がある。戦いはすぐに片付くよ」

ついにその熟慮も瞑想もおよばぬ時がきた、ということだろうか。
勝機はあった。が、仏軍が戦闘の開始を遅らせたためにプロシアの援軍の到着を許したことが致命傷となり、
同じ日の午後8時をすぎたころ、仏軍は崩壊した。彼の野望は「百日天下」に終わった。

6年後、ナポレオンは追放先の孤島で死去する。数ある功績のうち、彼はのちに自分の名が冠され、
近代民法のモデルとなった法典をその筆頭にあげた。一方で、人間性に対する疑問の声もある。
「私のように戦場で育った男は、百万の人間の生命などほとんど気にかけないものなのだ」。
そうオーストリア外相、メッテルニヒに言い放ったという。

しかし、息子への「遺言」のなかの彼は、人間として偉大である。復讐を戒め、こう結んでいるのだ。
「善に対する愛のみが偉大な事どもをなさせるのである」(岩波文庫『ナポレオン言行録』)

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090618/acd0906180328001-n1.htm
2 ハナイバナ(青森県)
私のように戦場で育った男は、百万の人間の生命などほとんど気にかけないものなのだ