旧海軍福知山航空基地(石原飛行場)の遺跡をたどるフィールドワークが7日、福知山市の土、前田一帯で行われ、市民約70人が参加して飛行隊指揮所跡などを巡った。
地元の人が案内役を務めて当時の様子を詳しく語り、参加者からも貴重な証言が相次ぎ、地域の歴史が一つずつ補完されていった。
地元の戦争と平和に関する歴史を、聞き取りや現地調査で掘り起こしている「中丹地域の歴史と文化を掘りおこす会」が呼びかけ、石原の日新コミセンから出発した。
最初に訪れたのは南土野町と中坂町の境。成仁小学校の真下の斜面に、局地戦闘機「紫電改」の機械工場跡が残っている。
半地下式の工場がたくさんあったといい、案内役を務めた土の西田博さん(79)は「コンクリートの基礎の上に杉板を半円形に30−40センチ積んでコールタールを塗り、
その上に土を乗せて空から工場が分からないようにした」と説明。周囲には防空壕(ごう)やトンネルもたくさんあったと話した。
続いては土集落のはずれに残る指揮所跡を見学。「昼夜兼行で工事をした」という施設は、分厚いコンクリートでできていて、参加者が順に中に入って大きさを実感した。
後半は案内役が前田の畑源二さん(83)に交代。自動車学校近くにある愛宕神社の杜(もり)へ移動して、石原から前田にかけてあった滑走路と各施設を結ぶ、飛行機の誘導路を中心に説明をした。
戦後に米軍が空撮した写真のパネルを使って誘導路や兵舎があった場所などを示し、基地が広範囲にわたっていたことを伝えた後、実際に杜へ入って行き、飛行機を隠していた場所を案内。
参道わきに、戦後しばらくの間、練習機の「赤とんぼ」が3機残されていたことなどを話した。
参加者は戦争を体験した年配の人が中心だったが、高校生や中学生、小学生の姿も。みんな行く先々で盛んに質問をし、米艦載機が来襲した際のコースや様子を語ったり、
川北橋のたもとにも戦闘機が戦後残されていたことなどを紹介しあい、口々に「戦争の遺跡や記憶をとどめ、歴史を風化させないようにしたいです」と話していた。
http://www.ryoutan.co.jp/news/2009/06/08/000734.html