ロッテの会長「日本で稼いだ金を韓国に投資しまくったけど、韓国で稼いだ金を日本にやる気はない」

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辛格浩(シン・キョクホ)会長は1940年代、無一文で日本に渡り、半世紀で40兆ウォンのグループを築いた。

辛会長は22年10月4日、慶尚南道蔚山(キョンサンナムド・ウルサン)で5男5女の長男として生まれた。
青年の辛格浩は42年、関釜連絡船に乗って日本に渡り、新聞・牛乳配達などをしながら文学徒の夢を抱いた。

早稲田大に通った辛会長は、日本人の友人の勧めでカッティングオイル生産工場を設立し、事業家の道に入った。
爆撃で工場は全焼したが、崩れた軍需工場で石けんを作って再起した。

辛会長の事業的な才能が表れ始めたのはこの時からだ。
米軍が駐屯しながらガムが人気を呼ぶと、辛会長はすぐにガム事業に飛び込んだ。
風船ガムは飛ぶように売れた。 こうしてにロッテが設立された。

67年に辛会長は韓国にロッテ製菓を設立し、母国への投資を始めた。
ロッテグループの関係者は「この時から日本で稼いだ金を韓国に投資し始めたが、
韓国で稼いだ金を日本に持って行くことは一度もなかった」と述べた。
辛会長は韓国に進出する際、食品会社ではなく重化学会社の設立を希望していたという。

辛会長はあるインタビューで「ホテル業は利益を出すのが難しいが、韓国に一流ホテルがなかったので将来性があると考えた。
ホテル業について何も知らなかったので世界各国の一流ホテルを回って勉強し、日本の帝国ホテルをモデルにした」と述べた。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=115108&servcode=300§code=320
http://japanese.joins.com/upload/images/2009/05/20090511171210-1.jpg