1年前の共産党毛沢東派による政権奪取でインドの毛沢東派が調子に乗りすぎ
1 :
サポナリア(福岡県):
毛派の総選挙妨害、列車乗っ取り騒ぎも インド
【ニューデリー=武石英史郎】インド東部ジャルカンド州で22日、武装グループが一時、列車を乗っ取る騒ぎがあった。
反政府勢力「インド共産党毛沢東主義派」の犯行とみられ、前夜から少なくとも計6カ所で鉄道駅や政府施設などを攻撃した。
貧困や格差への不満を背景に勢力を伸ばす毛派は、すでに投票が始まっている総選挙に反対しており、
今回も総選挙を混乱させる狙いとみられる。総選挙は5月中旬まで続くが、
毛派による妨害行為が最大の波乱要因となっている。
毛派の襲撃は同日午前0時ごろから、同州のほか、ビハール、西ベンガルなど少なくとも3州の計6カ所で相次いだ。
このうちジャルカンド州パラム地区の駅では、約20人が「革命万歳」と叫びながら爆弾を爆発させたという。
インドは総選挙の期間中で、5回に分けて実施される投票のうち第1回が行われた今月16日には、
4州で同時多発的に投票所が襲われ、少なくとも18人が死亡した。23日の第2回の投票を控え、
「もはや一帯は無政府状態だ」(プラサド鉄道相)との危機感が広がっている。
インドの毛派は、政権の座についたネパールの毛派と協力関係にあるとされる。
このため、ネパールと接するビハール州の治安当局は22日、ネパール側からの越境を警戒して一
部で国境を封鎖。内務省は毛派が活動する地域へのヘリコプター増派を決めた。
毛派の武装戦闘員は約1万2千人、非戦闘員を含む勢力は10万人程度と推定されている。
使用武器は治安部隊から奪った自動小銃のほか、ロケット砲、地雷、手製爆弾など。
最近では東部オリッサ州でボーキサイト鉱山を襲撃し、大量の爆薬を持ち去る事件があった。
特に近年、同時多発的に襲撃を繰り返す能力を高めており、要員不足に悩む治安部隊の対応は完全に後手に回っている。
シン首相は昨年11月、警察幹部を集めた会議で「毛派はインドが直面する国内最大の治安上の脅威」との認識を示していた。
(一部抜粋 全文はソースへ)
http://www.asahi.com/international/update/0422/TKY200904220266_01.html 関連
ネパール王国、滅亡確定 共産党毛沢東主義派が政権奪取
http://unkar.jp/read/namidame.2ch.net/news/1209222970
2 :
キンケイギク(catv?):2009/04/25(土) 14:50:09.92 ID:b8wVnoOg
インドで暴動と言えばパンジャーブ
3 :
サポナリア(福岡県):2009/04/25(土) 14:54:10.21 ID:3qe2HQtV BE:1453675379-PLT(12001)
>>1スレタイ訂正
・ネパール王国滅亡確定→インドの毛沢東派調子に乗る
4 :
ポレオニウム・ボレアレ(長屋):2009/04/25(土) 14:56:05.09 ID:fWxqPtEt
中国で毛沢東主義が否定されて高成長してるってのにこいつらは・・・
5 :
サポナリア(福岡県):2009/04/25(土) 14:59:27.27 ID:3qe2HQtV BE:576855555-PLT(12001)
6 :
シャクナゲ(岡山県):2009/04/25(土) 15:33:17.67 ID:BbaephAS
ネパールの毛派が中国共産党と繋がってるとか何十年前の話?
そもそも500議席のうち共産党だけで370持ってるんだから住民支持の超合法政党
7 :
ムラサキナズナ(東京都):2009/04/25(土) 15:34:40.78 ID:AUQsySZj
民主議会は工作しやすいからな・・・インド頑張れ
8 :
サポナリア(福岡県):
・1996年ごろ〜毛沢東派、王政打倒を呼びかけて反政府活動開始。国内では鼻つまみ者扱い。
・2001年、ビレンドラ国王一家、ご乱心したビレンドラ国王の息子の皇太子の銃乱射により全員死亡。ただし、ビレンドラ国王の弟のギャネンドラ現国王と、その王妃と息子の皇太子だけは何故か無事
・ギャネンドラ国王が即位後、国王親政を宣言するも、皇太子の交通事故もみ消し事件とかで支持がまったく得られず、内戦に突入。
・ギャネンドラ国王、議会を解散・召集せず、いよいよ独裁色を強める
・
・議会派、遂に立ち上がり、それまで主にテロとかで名を馳せていた毛沢東派に休戦および
大同団結を持ちかける→これが受け入れられる
・2004年、イラクでネパール人人質が殺されて市民が暴動
・2005年2月、議会を再度停止・絶対王政宣言
・2006年4月 統治断念 立憲君主制へ
・2006年11月、ネパール政府、毛沢東派と包括的な和平協定締結
・2007年1月15日 - 下院、暫定憲法発布。
その後、下院は解散した。 結果は共産党諸派(7党くらい)の勝利。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB