「決勝戦を汚した中島の野蛮なプレー」 韓国メディアが中島に激しいバッシング

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628 ジャーマンアイリス(大阪府)
伊丹北は全く無名高校で、野球のレベルも高くないです。
しかし、中島選手はそんな中、力をぐんぐん伸ばしていきました。
強豪シニアでの練習で野球に嫌気が差していた時期があり、
中島選手は報徳のような強豪校に入学していたら野球を続けていなかったと言っていたようです。
無名高校に入学したからこそ今の中島選手があるのだと思います。
小学校時代は投手として現SBの山崎勝己とバッテリーを組み全国大会に出場したこともあります。
高校時代は投手、遊撃手、外野手を兼任し、
1年時からレギュラーとなり夏は右翼手として出場しました。
2年夏には1番打者として16強入りに貢献し、以降は先発投手を務めるようになり、
3年夏は1番・投手として出場し兵庫大会4回戦で姫路工業高校の前に敗退しました。
高校通算本塁打は43本塁打です。
高校時代は何でもできる万能選手だった、ということです。