飯島愛〜中華圏でのイメージは日本国内の評価とギャップ
■飯島愛: 中国での知名度は「バイアグラの歌」きっかけ
日本の元タレント。中華圏でも知名度が高く、ファンも多かったとされる。
生年月日は1973年8月25日とされていたが、本人が否定を示唆する発言をしたことがある。
1992年にAV(アダルト・ビデオ)デビュー。その後、セクシーさを売り物にしたテレビ番組出演などで人気が出た。
一方、2000年ごろからはむしろ、率直なキャラクターが魅力として、女性ファンも増えた。
2007年に芸能界を引退。腎盂炎と報道された。その後もブログを公開していたが、2008年12月24日、自宅マンションで死亡しているのが発見された。
中国語圏で知名度が高まったのは、台湾の人気歌手、周華健が李宗盛、黄品冠と歌った『最近比較煩(このごろ少し、わずらわしい)』がきっかけだった。リリースは1998年。
歌詞の中に「飯島愛とのディナーを夢に見た。夢の中、レストランの照明はとても暗かった。あの青い錠剤は、探してもみつからなかった」とあり、2000年ごろから中国(大陸部)でも「飯島愛とはだれか」との関心が高まった。
「青い錠剤」とはバイアグラを指すと理解されている。
インターネットの普及期でもあり、インターネットで「飯島愛」を検索することで、飯島愛の画像を中国人が目にすることになり、同時に日本での「AV」人気そのものが広く知られるようになった。
しかし、中国などでは「飯島愛イコールAV女優」のイメージが定着。そのため、「常識破りの大胆発言も、性格がすなおだから」などとして人気が出た、芸能生活後半のキャラクターの確立は、あまり知られていない。
なお、日本在住の中国人からは「セクシーさだけが売り物ではなく、芸能生活の最後の時期のテレビ出演では、懸命に努力して勉強していることがよくわかり、好感度が増した。亡くなったのは信じられない。
本当に残念」(40代・女性)といった、日本人ファンと同様な声が聞かれる。(編集担当:如月隼人)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081224-00000096-scn-cn