韓国の自尊史観が創る歴史の歪曲

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418 ネチズン(長屋)
関川: ‥‥先方(韓国人)が実証的歴史事実の積み重ねでは説得されるつもりがないことは認識しておかないといけない。

古田: 日韓歴史共同研究委員会も似てますよ。
     ‥‥日本側の研究者が「資料をご覧になってください」と言うと、
     韓国側は立ち上がって、「韓国に対する愛情はないのかーっ!」と、怒鳴る。
     ‥‥さらに、「資料をみせてくれ」と言い返すと、「資料はそうだけれど」とブツブツ呟いて、
     再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と始まるのです。

関川: 歴史の実証的研究では韓国に勝ち目はないでしょう。
     事実よりも自分の願望というか、「かくあるべき歴史の物語」を優先させるようですから。‥‥

古田: 民族的感情を満足させるストーリーがまずあって、それに都合のいい資料を貼り付けてくるだけなんですね。
     当然、それ以外の様々な資料を検討していくと、矛盾、欠落、誤読がいっぱい出てくる。

櫻井: それは韓国の大学の歴史研究者ですか。

古田: イエス。これは韓国の伝統的な論争の流儀であり、思考パターンなのですね。
     李朝時代の両班の儒教論争も、みなこれですから。
     要するに「自分が正しい」というところからすべてが始まる。実はこの「自分が正しい」という命題が実証不可能なんです。
     この思想が突出したものが、北朝鮮の主体思想にほかなりません。

櫻井よしこ・関川夏央・古田博司「韓流“自己絶対正義”の心理構造」
(文藝春秋『諸君!』2006年4月号 69〜70頁)