都道府県データ:Vol.6
東北地方のことをあまりよく知らなくても、岩手県というと、多くの人が宮沢賢治や石川啄木を思い出すのではなかろうか。
物欲や金銭欲とはいかにも対極にありそうなイメージの「詩」「短歌」の世界。
そこに実は、この県の人々特有の気質、発想が象徴されているといってもよさそうである。
たとえば、岩手県を代表する米は「いわて純情米 ひとめぼれ」という名で知られている。
数年前だったか、県が打ち出した21世紀の基本方針には
「より人間的に、よりナチュラルに、素顔のままで新世紀を歩き始めましょう。それが岩手の理想とする『がんばらない』姿勢です」とあった。
近ごろ強調されるシンプルでエコな生き方こそ、岩手県民のライフスタイルなのかもしれない。
いかにも都会的といった派手さはないが、そのぶん素朴で、あまり格好をつけない――。
そこに岩手の県民性の土台があるといってよい。
高村光太郎はそうした岩手県人について、「岩手の人 牛のごとし」と記している(『岩手の人』)。
牛のように寡黙で真面目、思慮深くて冷静、世の流行や周囲の雑音に惑わされることなく、目標達成に向けコツコツ努力するというのである。
それだけに、他人の言動を真に受けやすいところがある。
生き馬の目を抜くような競争が繰り返されている都会からやってきた手だれのビジネスマンに、してやられてしまうような場面もありそうだ。
だが、それでも恨んだり呪ったりしない、なんとも表現しがたいすがすがしさが岩手県人の魅力だろう。
県の南部に行くと多少さばけた部分も垣間見えるが、それでも、都会的な“毒”には染まり切っていないように思える。
そんな岩手県人を相手にウソをついたり見栄を張ったりするのは禁物。どこまでも誠実一本ヤリで接することだ。
たとえ“ひとめぼれ”したとしても、意気投合するまでには時間もかかりそうだが、ひとたびそうなれば、お互いに気持ちよく仕事ができるにちがいない。
たまには俗世の穢れを忘れ、“純情”を通すのもよいのでは。
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