韓国人は小日本人との友情をはぐくもうと頑張るのに小日本人は韓国出身と分かると差別し始める

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1 ヘンタイ(東京都)

 日韓関係の友好促進に貢献した韓国人を顕彰する「日韓文化交流基金賞」の授賞式が開催され、
韓国人歌人、孫(ソン)戸妍(ホヨン)さんの長女、李(イ)承信(スンシン)さん(59)ら3人が受賞した。
李さんは、母親の孫さんが日本語で詠んだ短歌を韓国語に翻訳し韓国で出版するなど、短歌を
通じた日本文化理解に尽力したことが評価された。

 歌人の孫さんは1923年、父親が早稲田大学に留学中に東京で出生。生後まもなく帰国し、
日本統治下の京城(現ソウル)で少女期を過ごす。女学校時代に朝鮮語廃止、日本語常用と
なり、創氏改名では姓を「茂山」と変えた。

 内鮮一体の精神のもと、「日本人との友情をはぐくもう」と、孫さんは東京の帝国女子専門学校
(相模女子大学)に留学。しかし、朝鮮出身と分かると級友たちは離れていった。

 そんな失意のときに出合ったのが短歌だった。師事した歌人、佐佐木信綱から「朝鮮にはまだ
和歌を詠む人が少ないだろうから、朝鮮の女流歌人として一生懸命励むように。絶対に途中で
止めてはいけない」と激励された。

 その後帰国。「韓国では最初で唯一の和歌の歌人」と呼ばれ、63年間に詠み続けた短歌は
2000余首。その功績が認められ、平成10年には韓国人として初めて宮中歌会始に陪聴者
として招かれた。

 日本での評価の一方、韓国では事情はだいぶ違った。「どうして日本語で詩(短歌)を書く
のか」と批判する人もいた。心ない言葉に傷つきながらも詠み続け、和歌に込めた愛や
平和、日韓親善の心。母親の思いを多くの人に伝えたいと、李さんは歌を韓国語や英語
などに翻訳した。

 授賞式であいさつに立った李さんは、最後に母親の歌を朗唱した。この歌は、17年に
ソウルでの日韓首脳会談の際、小泉純一郎首相(当時)が披露したことでも知られる。

 「切実な 望みが一つ 吾(わ)れにあり 諍(いさか)いのなき 国と国なれ」(ソウル 水沼啓子)
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080901/trd0809012054017-n1.htm