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497 美国辣椒仔(東京都)
スレタイ→ 韓国の小学生が京都ウトロを訪問 「あんな所に住んでたの? 私たちもウトロを助けたい」

韓国の子供ら「私たちもウトロを助けたい」/日本・京都

12日午後、京都府宇治市ウトロ51番地。町の入り口には「ウトロで生まれ、ウトロで死ぬ」という
韓国語で書かれた標語があった。日帝時代に強制徴用された韓国人が集団で住むこの町にソウル、
京畿(キョンギ)から27人の子供が訪れた。
ウトロの町は第2次世界大戦中の1941年に日本政府が京都に軍飛行場を建設するために、朝鮮
人を強制動員したことから生まれた。韓国から渡って行った約1300人が合同宿所を建て、住み始
めた。日本の敗戦で飛行場建設は中断されたが、祖国に家もなく帰る船賃もなかった人々がここに
残った。彼らは今でも下水道施設が取り付けられていない劣悪な環境に住んでいる。4年前、土地を
所有している日本の企業が立ち退きを要求し、強制撤去されそうになった。韓国政府の支援金と市
民団体の募金によって危機を克服したが、土地を購入する金額が足りず、71世帯の住民(178人)
は相変らず気苦労が多い。(抜粋)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=103572&servcode=A00§code=A10

京都ウトロ地区問題:「上下水道なしに60年過ごした」

 子どもたちがまず目にしたのは、「ウトロで生きてきたわれわれは、ウトロで死にたい」とハングルで
書かれた立て看板だった。住民団体役員のイ・ムユルさん(39)は、「ここの人たちは第2次大戦中の
1941年、軍の飛行場建設のためにこの地へ来た人たちの子孫で、10人中2‐3人が65歳以上の高齢
者だ」と語った。イさんの説明が終わるころ、子どもたちの目の前には、日本の植民地時代、軍の飛
行場建設工事に従事するためにこの地へやって来た韓国人労働者たちの合宿所が現れた。ノ・ジョン
ウン君(12)は、「あんな所に人が住んでいたのか」と驚いた。
 ウトロ地区の住民たちは4年前、土地を所有している不動産会社から立ち退きを求められ、強制的
に追い出されるのではないかとおびえていたが、所有者が変わったことで危機を脱した。現在は土地
を買い取るため、韓国政府や民間人、住民たちによる募金活動が行われている。(抜粋)
http://www.chosunonline.com/article/20080815000032