【赤塚不二夫さん葬儀】 タモリさん、弔辞で声震わせ「私もあなたの作品のひとつ」

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5 大宇(福島県)
■タモリさんの弔辞(2/2)

あなたは父のようであり、兄のようであり、時折見せる無邪気な笑顔は年の離れた弟のようでもありました。
あなたは生活すべてがギャグでした。ギャグによってものごとを無化していったのです。あなたの考えは、すべてのできごとを前向きに肯定し
受け入れました。それによって、人間は重苦しい陰(いん)の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後の関係を断ち放たれて、
そのとき、その場が異様に明るく感じられます。それをあなたは見事にひとことで言い表しました。すなわち「これでいいのだ」と。

いまふたりで過ごしたいろいろなできごとを思い浮かべています。一緒に過ごした正月。そして海外へのあの珍道中。
どれもがこんな楽しいことがあっていいのかとおもうばかりのすばらしい時間でした。

最後に会ったのは五山の送り火です。あのときのあなたの柔和な笑顔はお互いに労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

あなたは会場のどこか片隅で、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、肘(ひじ)をつき、にこにこと眺めていることでしょう。そして、おまえも
お笑いやってるなら弔辞で笑わせてみせろと言っているにちがいありません。あなたにとって死もひとつのギャグなのかもしれません。

人生で初めて読む弔辞が、あなたのものになるとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながらひとことも
お礼をいったことがありません。肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼をいうときにただよう、他人行儀のような感じが
たまらなかったからです。他の人から、あなたも同じ気持ちだったと聞きました。しかし、いまお礼を言わせていただきます。
赤塚先生、お世話になりました。本当にありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。合掌。