4月に本欄でチベット人の蜂起について書いた。
中国の半世紀にもわたる「文化的虐殺」であり、日本の宗教界の反応の鈍さにも触れた。
チベット問題に関しては、いわゆる論壇誌はほとんど取り上げている。
政治・外交問題、そして北京五輪を前にした中国問題としてフォーカスしていた。
気になったのは、いわゆる文芸誌がほとんど無反応であることだ。
わずかに「すばる」(5月号)に、雪山蓮子という仮名の著者による「チベット、三月十日」という一文が載っただけである。
短い文章だが、この3月10日のラサでの僧侶たちの行動を中国侵略の歴史的経緯から説き起こし、
消滅の危機にあるその仏教文化の尊さに言及した心ある内容だった。
文芸誌としては「新潮」「文學界」「群像」「すばる」という大手出版社の伝統ある月刊誌が、今も健在である。
芥川賞作品のほとんどがこれらの雑誌から選ばれているように、現代文学の最前線でもある。
論壇誌や総合誌との棲(す)み分けはあるにせよ、今回のチベット問題のように
文化・宗教・言葉に深く関わった出来事にもっと鋭敏に反応してもよいのではないのか。
同じく3月に大阪地裁で判決のあった大江健三郎の『沖縄ノート』の記述をめぐる問題なども、
論壇誌は取り上げたが、文芸誌は頬かぶりしている。
この裁判は過度に「政治」的に報道されているが、同時に文学者の「言葉」の問題でもある。
「政治と文学」の季節が過ぎ去ったにせよ、文芸誌こそが果敢に「参加」すべきなのではないか。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080601/acd0806010337001-n1.htm