東京都江戸川区の下町にあるアパートで今年3月発生した火事で、宇井昇さんが亡くなった。
国内民放初のラジオ放送(1951年)で第一声を発した名アナウンサー。享年84。一人暮
らしだった晩年をたどった。
昔ながらの商店街から入った道幅1メートルに満たない路地の奥にアパートがある。近くで
はマンション建設が進むが、木造2階建てアパートの周囲はひそかに「福祉のアパート」と呼
ぶ。風呂なし4畳半計6室の入居者の多くが生活保護受給者だったことに由来している。
宇井さんも区から住宅補助を受け4年前に入居。近所の人は「事情がある人だろう」と、話
しかけるのをためらったという。取り壊し計画に伴い入居者の立ち退きが進められ、宇井さん
は最後に残った1人だった。
その部屋から火が出たのは3月18日午後10時過ぎ。原因はたばこの火の不始末とみられ
ている。
23年に東向島(東京都墨田区)に生まれた宇井さんは、学徒出陣した中国で日本のニュー
スがラジオから流れてきたことに感動し、復員後に中部日本放送(名古屋市)のアナウンサー
になった。58年、フリーになった後は、リクルート関連企業に所属し、企業の管理職向けの
研修で講師を務めた。日銀でのコミュニケーション論では「(部下を)粋に褒め、粋にしかれ」
と説いたように、「下町の江戸っ子」を自任した。
だが、「人名録」にも掲載された輝かしい経歴を知る人は、現場アパート周辺にはほとんど
いない。部屋を訪ねる人もいなかった。「なんにも知らないよ」。大家の女性は言った。
部屋で、一冊の黒い手帳が焼け残った。そこに、宇井さんのもう一つの「顔」があった。
びっしり書き込まれたスケジュールの中には、アパートに入居したころから参加した故郷・
墨田区のNPO法人「てーねん・どすこい倶楽部」の予定もあった。
「生まれた町のために死ぬまで尽くす」と知人に話していた宇井さんは、勤めや子育てを終
えた人たちを対象に「第二の人生をどう過ごすか」などについて講演会などを企画。ボランテ
ィア活動を引っ張った。
(略)
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http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080601ddm041040146000c.html スレ立て依頼所@
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