安保条約にもとづく在日米軍の駐留を憲法違反とした1959年の砂川事件・伊達判決に対し、米駐日大使が当時の
最高裁長官と「内密の話し合い」をもつなど、判決破棄へ圧力をかけていたことが米政府解禁文書で明らかになりました。
国際問題研究者の新原昭治氏が今月、米国立公文書館で入手したもの。米軍駐留違憲判決に対する米側の衝撃ぶりと、干渉を無批判に受け入れる日本側の異常な対米従属ぶりが分かります。
1959年3月30日の砂川事件の一審判決(東京地裁)で伊達秋雄裁判長は、安保条約のもとで米軍が「極東」に出動することは、
日本を直接関係のない戦争に巻き込むおそれがあり、また保持を禁じた「戦力」にあたるとして、米軍駐留は憲法前文、九条二項違反
とする判決を出しました。解禁文書は判決当日から最高裁での弁論終了後の9月19日まで、当時のマッカーサー米駐日大使から国務省あてを中心にした14通の電報です。
伊達判決の翌日には、米大使が藤山愛一郎外相に閣議前の早朝に秘密会談を申し入れ。当時進行中だった安保条約の改定交渉への影響や、
東京・大阪など重要知事選前に「大衆の気持ちに混乱を引き起こしかねない」ことに強い懸念を表明しました。大使は「日本政府が迅速な行動をとり
東京地裁判決を正すこと」を求め、過去に一例しかなかった最高裁への「跳躍上告」を提案しました。日本政府は部内で検討していた経過もあり4月3日に跳躍上告しました。
4月24日付では、米大使と当時の田中耕太郎最高裁長官との「内密の話し合い」を明記。田中長官は「本件には優先権が与えられているが…決定に到達するまでに少なくとも数カ月かかる」との見通しを伝えています。
最高裁は、当時3000件もの案件を抱えていましたが、砂川事件を最優先処理。電報の5日後には最高裁が弁護人を21人に制限するとの決定を下すなど、「迅速な決定」へ
異常な訴訟指揮をとりました。最高裁は同年12月16日、一審判決を破棄、東京地裁に差し戻しました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-04-30/2008043001_01_0.html [依頼スレ432, ID:Mg/EmOuL0]