「出て行けと言われた感じ」 中日福留 20年前の絆崩壊
1 :
新人(樺太):
中日の53年ぶりの日本一の歓喜の裏で、1人の生え抜きスターが去った。
FAでカブス入りした福留孝介外野手だ。
福留にとってメジャーは夢ではなかった。イチローとも、松坂とも違う。
「オレはメジャーにあこがれていたわけじゃない」。
渡米を決断した裏には悩みぬいた末の中日との決別劇があった。
20年前、1つのボールが絆を生んだ。
小学生の福留は実家のある鹿児島県・曽於郡からプロ野球のキャンプが行われている宮崎へ通っていた。
巨人は人が多くて近づけなかった。
自然と串間の中日キャンプへ行った。
ある日、1人のスタッフから声をかけられた。
「おい僕、いつも来てるなあ」。
こっそりボールをもらった。
少年時代の宝物になった。
PL学園3年のドラフトでは高校生史上最多7球団から指名を受けたが。交渉権を得た近鉄の誘いを断った。
社会人から逆指名して中日入り。
少年時代の思いを貫いた。
プロになった福留はドームの試合前、必ずあることをしてきた。
右翼最上段5階席へプレゼントボールを投げ入れるのだ。
試合直前に遠投する選手は少ない。
だが、福留ははるか上の500円席の子供めがけて投げた。
「オレも昔はあそこいいる子供たちと同じだった。ボールをもらって、うれしくて。プロを目指した。だから、あそこに投げるんだ」−
2 :
図書係り(千葉県):2007/12/26(水) 17:56:48.06 ID:VzLpRn/d0
>>1
でてけ
3 :
新人(樺太):2007/12/26(水) 17:56:55.84 ID:WtI/dS7r0
ところが、05年のオフ、あの時、串間でボールをくれたスタッフが解雇された。
落合監督を招聘し、常勝軍団へと生まれ変わる球団改革の一環だった。
「オレは昔、中日が家族のような球団だから好きになった。でも、今は違う…。」。
球団フロントへの不信感は増幅。
契約更改は毎年難航した。
それでも残留ありきで望んだ11月5日の球団との残留交渉。
提示されたのは4年17億、単年は現状維持の3億8500万(金額は推定)の条件だった。
是非論ではない。
球団は流出覚悟で福留へ評価を下した。
経営のプロによる経営判断。あとは福留がどう決断するか。
「出て行けと言われているような感じだった」。
4日前にチームは福留抜きで日本一になっていた。
寂しさとともにFA移籍に向かった。
目の前には新たな挑戦がある。
後ろを振り返ることはしない、
ただ「ビジネス」か「情」かのはざまで最後まで「情」に揺れていたのは確かだ。
今、福留には新たに1つの目標ができた。
「残るだけじゃない。いつか戻ってくることも恩返しだと思う」。
20年前、芽生えた絆は海を渡っても消えはしない。
12/26 日刊スポーツ2面