サッカー北信越1部リーグの「ACパルセイロ長野」のブラジル人監督は、日本と浅からぬ因縁で結ばれている。
日本がW杯初出場を決めた1997年11月のアジア第3代表決定戦。
その時、イランの指揮官として日本を苦しめた人物なのだ。
イラン以外にもコスタリカやオマーンの代表、中東のクラブを指導した経歴を持つビエイラ氏が
パルセイロ監督に就任したのは昨年6月。推定5000万円以上はあった報酬は10分の1程度になったが、
「それまでお金は十分にもらったし、小さなクラブを将来プロリーグへ昇格させるという仕事に興味を持った」と話す。
2年目の今季はリーグ3位(4日現在)と苦戦しているが、「残りは地元での試合が多いから1位になる勝算はある」と強気だ。
ジョホールバル(マレーシア)での決戦に話を向けると懐かしそうに振り返った。
「高い技術の中田(英)や、ダエイを徹底マークした秋田は今でも印象深い。
イランはスリートップで相馬、名良橋の攻め上がりをよく抑え込んだね」
イランの運動量が落ちて最後は逆転負けを喫した。自国協会の不手際から直行便が確保できず、
ドバイ、香港などを経由して試合直前に36時間かけて現地入りしたために体調を崩したことが敗因だったと言う。
また、こんな裏話を披露した。「途中で同僚とケンカした主力のアジジ(96年アジア最優秀選手)を
協会が強制送還させようとして大変だった」。内紛を表面化させないため、アジジが負傷した
ことにして前日練習を休ませもした。「僕が仕組んだウソに当時、日本の報道陣も動揺していたね」。
アジジは本番には平然と出場した。これが有名な「アジジ車いす事件」の真相のようだ。
http://job.yomiuri.co.jp/interview/jo_in_07060501.cfm