韓国人のレイプは真実なのに「ヨーコの話」教材使用中止を決定

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48 ボーイッシュな女の子(東日本)
和夫氏は日帝時代によく見られた慶尚道地方の日本人地主だった。
地主とはいうものの、和夫の家族は日本政府の朝鮮移住政策にしたがって
乗り気ではなかった朝鮮生活を始めたものだ。

公務員だった和夫は、政府の命令にしたがって仕方なく朝鮮へ赴任したのだ。
そのころの日本は一種の軍事独裁体制で政府の命令に従わなければ
すぐに売国奴として排斥されそうな雰囲気があったという。
当時、朝鮮にいた日本人地主のなかには朝鮮人の小作人たちから
法の規定以上の小作料を取り立てる怪しからぬ人々もいたが
ふだんから人情味の厚かった和夫は小作料を収穫全体の十分の一とし、
村人たちを家族のようにみなして喜びも悲しみもともにした。

自分たちの生活が困らなかったので総督府の命令にしたがって
やむをえず受け取らなければならない最小限の小作料だけをとったのだった。
貧しい小作人が食料がないと泣きつけば喜んで食べるものを分けてやったし
村で誰かの葬礼があれば家族総出で駆けつけ、食事の支度はもちろん
自ら慟哭して悲しみを分かちあうこともあった。
このように、和夫は人間への温かい愛情をもった真の人間だった。

また、和夫は近くに行き場のない孤児がいると連れ帰って面倒を見ていたが
その数は一人、二人と増え、四、五年たつといつのまにか私設孤児院規模にまで増えてしまった。
けれども和夫夫婦はこれら孤児たちを家族のように愛し自ら喜んで彼らの父、母を称した。
和夫の家族はふだん、このように朝鮮人を愛し、日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。
しかし彼らは日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日、
自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより凄惨に殺害されたのだ。
49 ボーイッシュな女の子(東日本):2007/03/19(月) 22:03:53 ID:5qJl5doZ0
その日、まさに万歳の声とともに太極旗が波のように風になびきつつ朝鮮人の世がやって来た。
神は自分が受けるべき朝鮮人の愛を横取りしたと和夫君に嫉妬したのか?
彼がわが子のように育て、東京帝国大学(現在の東大)に留学までさせたAの主導の下に、
彼の家で教育を受け、育ち、成人した青年たちが、斧と鍬、スコップを手に、和夫のもとに押しかけた。
そのとき現場にいた金ソンス君は次のように証言している。

和夫「(穏やかな目で)なんでこんなことを,子どもたちよ。」

孤児A「チョッパリ! 日本へ失せろ,失せちまえ。」

和夫「(怒ったような声で)私が、お前たちにどんな間違いをしたというんだ。
    お前たち皆が私の息子だ。私はこの家の家長であり、お前たちの親だ。
    お前たちの祖国が解放されたことは、私も普段から待ち望んできたことだ。
    踊りでも踊りたい気分の日に、なんだって凶器をもって私の所に詰めかけたりするんだ。
    私は決してお前たちをそんなふうに教育したおぼえはない。
   (涙を流しながら)ほんとうに悲しいことだ。朝鮮の息子たちよ。
    私が愛を傾け育ててきた結果は、つまるところ日本人と朝鮮人は融和できないということなのか。
    お前たちが望むなら、私は日本に帰る。 」

孤児A「(意味深長な目配せを孤児Bに送る)
    お前が財産をすっかり処分して帰ったら、
    おれたちはどうやって食っていくんだ?」

孤児B「死ね、チョッパリ!シッパルノマ!」
50 ボーイッシュな女の子(東日本):2007/03/19(月) 22:04:29 ID:5qJl5doZ0
間髪入れず鍬が和夫の後頭部に振り下ろされたのと同時に
数多くのスコップと斧が彼の体をずたずたに引き裂きはじめた。

このとき、和夫の妻が我慢できずに飛び出してきた。
それまで黙っていたCは和夫の妻を見て彼女の長い髪をつかみ、
庭の奥まったところに引きずっていった。

そしてなんと13人がかりで、ほんの一週間前まで
お母さんとして恭しく仕えていた彼女を強姦しはじめた。
(金ソンス君は、この期に及んで自分が止めに入ったら自分も殺されただろうと言った)。
強姦に耐えられなかった彼女は行為の途中で死亡し、
Dは普段「お母さん」と呼んでいた彼女の全身を
滅多刺しにするだけでは足りず、内臓をひきずり出してまき散らした。

和夫には一人の幼い娘がいた。
ふだん模範的でいい子だったヒミコは、放課後家に帰ってきて
両親の身に起こった惨状を見、気が触れてしまった。

ヒミコが何日間も慟哭する声に近隣住民たちは眠れなかったそうだ。
その後、孤児になったヒミコは食べ物を乞おうとその付近をさまよったが、
朝鮮人は誰一人彼女に目もくれず、知らないふりをした。
結局、彼女は9日後、村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。
当時ヒミコは小学校6年生の幼子だった。

和夫の財産は勇猛で愛国心に燃えたつ朝鮮の青年たちの手にそっくり渡り
この事件は村人たちの沈黙の中、しだいに忘れられて行った。