ゲームとジェンダー:空想の人間に恋焦がれるのは・・・
「女性は子供を産む機械だ」
話題の柳沢厚労相の失言です。このせりふ、日本人男性の女性に対する意識が濃く
反映されています。
そんな風潮は、ゲーム世界でもよーく再現されています。ゲームに登場するヒロイン
たちは、スタイル、言葉使いにしても、すべてに非の打ち所のない美人ばかりです。そして、
あまりに極端すぎて、思わず目をそむけたくなるときさえあります。まあ、ゲームを作って
いるのは男性だから、そういう願望が強く反映されるのは当然。ですが、ちょっと行き過ぎ
じゃないかと正直、感じています。
RPGの多くは、女性キャラクターが男性キャラを魔法などで補助をして、前線には立て
ないのが普通で、「女は、黙って男の後ろについてくるもんだ」と言わんばかりの能力配分
になっています。ヒーローがヒロインを助けに行く「白馬の王子様」的構図は女性の強い
願望であるのでまだしも、男性が女性を見下ろすような傾向がゲームではより強いと感じます。
確かに、女性は体の構造上、力や体力は望めませんが、ものすごく強い女性もいるわけ
で、一律に「女は非力だから」とまとめてしまうのはどうなのでしょう。
もちろん、男性プレーヤーからすれば「どうして女の尻にしかれなきゃいけないんだよ」という
批判も出るのも分かりますが、だからこそ同じだけ女性プレーヤーにも配慮してほしい。ゲーム
キャラクターを、感情を持つ「人」として確立するつもりならば。
でも今のゲームは、テレビ画面の向こうに「彼女」や「彼」と遊ぶことが増えてきました。そして、
最近聞かれる「このゲーム大好き!」という評価は、特定の「人」に対してで、「作品」そのもの
指しているのかは微妙なことが多々あります。
時代の流れは、テレビゲームの存在意義まで変えようとしていますが、少なくとも、空想の
人間に恋焦がれることをだいご味にしようとするのは、テレビゲーム本来の役割ではないと
思うのです。
ttp://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/game/etc/eyes/2006/hoshiko/10.html