広瀬光治 画像
http://www.kobe-np.co.jp/kurashi/341.jpg ココロほぐす編み物 ニットの貴公子 広瀬光治さん
広瀬さんは一九五五年、埼玉県で生まれた。
両親が共働きの家庭で育ち、祖母と過ごす時間に編み物の原点があった。
セーターをほどき、毛糸玉にする作業。祖母が巻くペースに合わせて手首を動かす。
「妹は全くダメ。ところが私は手先がとっても器用で、学校のことを話しながら手伝ってました」と懐かしむ。
学校の休み時間はリリアン遊び、授業では家庭科の裁縫に夢中に。
「アンタ、天才ね」 「女の子よりうまい」
先生や周囲にほめられるたびに、どんどん自信がついて楽しくなった。
高校を卒業後、水産会社に勤めながら霞ケ丘技芸学院(東京都)の夜間部で編み物を学んだ。
その後、日本ヴォーグ社の編み物雑誌の編集長を経て、現在までの活躍は周知の通り。
「誰にも否定されず、いじめもなかった。だから可能性の芽を摘まれなかった。
でも、今の子どもたちは『こうでなきゃいけない』っていう枠にはめられてしまってるように思います」
モノも飽和状態で、買うのが当たり前の時代。
「だからこそ、子どもたちにモノづくりの喜びや楽しさを伝えたい」と語る。
広瀬さんは、そんな魅力を、一人でも多くの子どもに味わってもらいたいという。
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