高松城(香川県高松市玉藻町)の天守閣跡発掘調査で、天守閣の一階部分にあたる穴蔵の発掘がほぼ終了し、
床面から柱の土台となる約五十個の礎石がほぼ完全な形で出土した。市教委は「予想以上の成果。
天守閣の構造を解明する貴重な手掛かりになる」としている。また、発見が期待されていた天守閣の部材は見つからなかった。
見つかった約五十個の礎石は一辺が三十センチから一メートル。穴蔵の内壁の石垣に沿って、直線状に配置されていた。
これらの礎石の上に横木を渡し、その上に天守閣一階の外周の柱が建てられていたとみられる。
穴蔵中央部には、天守閣取り壊し後に建立された玉藻廟(びょう)の基礎の石垣が残っているが、
その石垣の最下部にも天守閣の礎石とみられる平らな石を確認。市教委は「すべての礎石が残っているのではないか」としている。
今後、廟の基礎を撤去してすべての礎石の配置が判明すれば、天守閣の部屋の大きさや間取りなどが類推できるため、
未解明の内部構造を探る大きな手掛かりとなる。
また、穴蔵の入り口をふさいでいた石積みを取り除いたところ、入り口付近の礎石から扉の支柱跡とみられる穴を発見。
穴蔵の内壁の石垣からは、石を積む際の目印と推測される刻印石も見つかった。
一方、出土が期待されていた天守閣を壊した際の瓦などの部材は、穴蔵の中からは見つからなかった
。廟の基礎は穴蔵の底まで達しており、「天守閣取り壊しから廟建立までの間、穴蔵は空洞だった可能性が高い」(市教委)と分析している。
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