昨年十二月、大学を卒業してから初めての同期会が大阪で行われ、私も出席しました。
「今、何してんねん?」「投書欄で『方言ばあじゃ』しょうる。おまえ、仕事はどうなら」「ボチボチでんな」―。
実は「みんなオレの言葉を分かってくれるだろうか」と、ちょっぴり弱気で臨みました。
ところが、たまたま私の前の女性が津山市出身、その隣の女性は父上が岡山市出身でした。
「ああ岡山弁、懐かしいワ」。アルコールも入り、それまでの心配はどこへやら、
みんなが理解しようがしまいが普段通りにしゃべりまくりました。
「そういえば、下谷は『ギュウソウ』というソフトボールのチームを編成して学部で優勝したよなあ」と
声が挙がったので、私は「何ゅう言よん。そりゃあ、牛窓(うしまど)じゃが!」と叫びました。
今でこそかなり有名になった郷里ですが、当時はまだ知られていませんでした。
まあ、こういった会話が続いたわけで、私は岡山弁で堂々としゃべり、一人で関西弁に立ち向かったわけです。
そして、都会の喧噪(けんそう)の中で生きる同級生たちに、素晴らしい田舎の風を吹き渡らせてやりました。
「方言ばあじゃ」については、岡山県出身で千葉や大阪在住の方が「図書館でこのコーナーを読むと、
故郷の香りがするので大ファン」と便りを寄せてくれ、うれしい限りです。私も連日投稿チェックに追われる中で、
この原稿の手直しはひとときの“癒やしタイム”。一人で大笑いしては職場でひんしゅくを買っています。
これからも「方言ばあじゃ」をよろしくおねげえしますらあ。
http://www.sanyo.oni.co.jp/sanyonews/2007/01/27/2007012708434683004.html